3月から4月にかけては
いろんなことがありました。
ペットのラリー君が急に体調を崩してしまい
一時は「もうダメかも」と思いました。
おかげさまで
今はほとんどよくなってきています。
去年から
一斉ワークをするたびに
身内やラリー君が体調を崩すことが
立て続けに起こってました。
ラリー君が体調を崩すのは
今回で3回目。
身内の件を含めると
そういうことが5回続いていました。
エネルギーワーカーとして
ワークをしている身として、
そういうことが起こり得ることは
周囲から聞くこともあり、知ってました。
周囲から聞くこともあり、知ってました。
そして、そのたびに
「そういう形で
必要な癒やしが起こっている」
必要な癒やしが起こっている」
と受けとめ、
そのときの自分を超えてきました。
そのときの自分を超えてきました。
しかし今回はさすがに
「もう疲れた」と思っちゃいました。
「これからもこうやって
自分を超え続けることになるの?」
と落ち込み、それでも
今、私がさせていただいている役割を
放棄する気持ちには
なぜかなりませんでした。
なぜかなりませんでした。
とはいえ、
己の役割をさせていただく上で
身内や飼い犬が倒れるようなことに
ならないために、
私にできることはないのだろうか‥‥と、
真剣に考えるようになりました。
そんなとき
ある人のセッションを受けました。
その人は私の話を聞いて、
こう言いました。
「あなたにはカルマはありません」
「今生での課題はもうないんだから
これからは好きに生きなさい」
「あなたのお話を聞いていると
必要なときには
サポートや学びの機会が
いつもちゃんと来ています。
いつもちゃんと来ています。
だから、これからも
あなたに回ってきたお役目を
誠実にこなしていきなさい」
「あとは
ただ楽しく生きていったらいいですよ」
実は
この話と同様なことは
過去、いろんな方から言われてきました。
そして今回、
飼い犬が一時死にかけても
「あなたにはカルマはありません」
「あとは好きに生きなさい」と
またまた言われてしまいました。
実際のところ
私にカルマがないのかどうかは
分かりません。
少なくともその人には
そのように見えたわけで、
こういう形で
自分にもたらされたメッセージを
どのように受けとめるかを
ずっと考えました。
こういう形で
自分にもたらされたメッセージを
どのように受けとめるかを
ずっと考えました。
「カルマがない」ということは
今生でなすべきことはもうなくて
今生でなすべきことはもうなくて
つまりは
「これを癒やしたらいい」とか
「これを学んだら霊的成長できる」も
ないんです。
ただひたすらの自由。何やっても自由。
あまりの自由さに
あまりの自由さに
途方に暮れながら、
私は
「まだ癒やされていない私」や
「これをすれば成長できる私」を
手放したくない部分もあるんだなと
感じました。
それは
「今のままで良い私」を
真に認めていないことでもあります。
それは
「今のままで良い私」を
真に認めていないことでもあります。
また、私は
カルマがない人生について
悲しいことやムカつくことが
起こらないことだと
思っていたと気づきました。
ぶっちゃけ、カルマがなくなったら
もっと分かりやすくハッピーになると
思っていたんですねぇ‥‥。
なんとエゴっぽい
ハッピーイメージであることよ‥‥。
思っていたと気づきました。
ぶっちゃけ、カルマがなくなったら
もっと分かりやすくハッピーになると
思っていたんですねぇ‥‥。
なんとエゴっぽい
ハッピーイメージであることよ‥‥。
今回のことで、
カルマがなくてもいろんなことは
カルマがなくてもいろんなことは
ごく当たり前に起こるんだな
と思いました。
それが
宇宙の仕組みなのだと知りました。
それが
宇宙の仕組みなのだと知りました。
いろんなことが起こって
そしてそのときに、
私たちは悲しみ、怒るけれど
私たちは悲しみ、怒るけれど
宇宙から見れば、
それら全てはただ「起こる」だけ。
それら全てはただ「起こる」だけ。
私たちは
怒ったり、悲しんだり、驚いたりしつつ
そんな中にあっても
愛されたり、喜んだり、
何かに感謝する瞬間も必ずあって
そんな日々を長い目で見渡せば、
いつも必ず「なるようになっていく」。
怒ったり、悲しんだり、驚いたりしつつ
そんな中にあっても
愛されたり、喜んだり、
何かに感謝する瞬間も必ずあって
そんな日々を長い目で見渡せば、
いつも必ず「なるようになっていく」。
私は
そういう幸せによって
生かされているようです。
そういう幸せによって
生かされているようです。
そのことは
心のどこかでは分かっていたけれど
今回のような事態が起こったときには、
私の心構えは
まだまだ浅かったと思いました。
心のどこかでは分かっていたけれど
今回のような事態が起こったときには、
私の心構えは
まだまだ浅かったと思いました。
「(こんな風に)シアワセになりたい」
という我欲を捨て、
大いなる仕組みへと
小さな自分を明け渡していく。
そうやって自分が
地上でできることとしては
地上でできることとしては
一日一日を
誠実に生きるのみであって、
誠実に生きるのみであって、
あとは、ただひたすら
幸せへと導かれていくだけ。
幸せへと導かれていくだけ。
これから先、
いろんなことがあったとしても
私にとっては
全て意味ある出来事であって
今までもこれからも
なるようになっていく。
いろんなことがあったとしても
私にとっては
全て意味ある出来事であって
今までもこれからも
なるようになっていく。
これからの私は、
そのことをもう一段深く受け入れて
生きるしかないと思いました。
そのことをもう一段深く受け入れて
生きるしかないと思いました。
また今回、
「カルマがない人」について
「カルマがない人」について
いろいろ考えてみました。
私のイメージでは、
「カルマがない人」とは
たとえば
「カルマがない人」とは
たとえば
「霊的にいい人」「霊的に素朴な人」
と言えるのかもしれないと思いました。
これは、
霊性の高さや霊的能力のすごさを
意味してはいないと思います。
それはそれでまた別。
人柄の良さや、人としての優秀さとも
また別なのだと思います。
おそらく私は、ただ単純に
「霊的にいい人」「霊的に素朴な人」
なのであって、
これからは
「霊的にいい人」として
これからは
「霊的にいい人」として
そういう「霊的な素朴さ」を
のびのびと発揮できるように
生きようと思いました。
生きようと思いました。
そして、そのために
何か霊的能力や霊的メゾッドを
身につけるというのは
やはりどこか不自然であって、
あえて言えば
何か霊的能力や霊的メゾッドを
身につけるというのは
やはりどこか不自然であって、
あえて言えば
「ただ楽しく生きていくこと」が
最も良いのだろうと思いました。
最も良いのだろうと思いました。
そのような日々そのものが
私の霊的な素朴さを
引き出してくれるだろう
と思いました。
私の霊的な素朴さを
引き出してくれるだろう
と思いました。
3~4月はそんなこともあり、
私も結局は風邪をひき、
一時期声が出なくなりました。
風邪は治り、声も回復しましたが
喉の調子はなぜかずっとぐずつき気味。
そうこうしているうちに
第2回のワークも間近。
「おぉ!
第五チャクラのワークをやると
のどがやっぱりやられるんだ♪」
と思っています。
今にして思うことは
今回の気づきを与えてくれたのは
飼い犬のラリー君でありました。
ラリー君のサポートはもちろん、
有形無形の計らいに
やはり導かれていると思いました。
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