高熱は続き、痛みや怠さもありましたが、よーこ本人は家族に見守られ安心した様子でとても穏やかな表情をしていました。




私に約束してくれたとおり、峠と宣告されてから旅立つまで




一生懸命、1分1秒でも長く息をしてくれました。




Dr.も看護師さんも




「今まで多くの患者さんを見てきたけれど、こんなに頑張った方を見たことがない。よーこさん凄いねなみだ




と驚かれていました。




よーこの望み通り、愛するキン肉マンと家族に看取られ




16日早朝、彼女は旅立ちました。




苦しむことなくとても穏やかで




その顔は微笑んでいるように見えました。

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ご訪問ありがとうございます。



早いものでまもなく四十九日を迎えます。



キン肉マンも両親、姉妹も少しづつ日常を取り戻し毎日を過ごしています。



ペコもあずきもトンコツも茶眉もブーも元気です。


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ただ、あずきはよーこの帰りをいつも玄関で待っているようで


その話をキン肉マンから聞くたび、とても胸が苦しくなります。
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キン肉マンも私達も


彼女を思い出すたびに涙が溢れ



心にぽっかりと空いた穴はまだ塞ぐことができません。



けれど焦ることなく、少しづつ哀しみを乗り越え



よーこの分までしっかりと生きて行きたいと思っています。




ブログの今後ですが



本人の記事につきましては今まで同様



いつでもご訪問頂ければと思っています。



コメント欄につきましては今後閉じさせて頂く方向で検討しております。



これまで多くの温かいお言葉を頂きありがとうございます。



よーこに代わりまして厚く御礼申し上げます。

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皆様のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

6月5日 


Dr.からいつ状態が急変してもおかしくないと話があり




家族も覚悟を決めたことを思い出します。




Dr.の話の数日後、せん妄のような症状が現れました。




けれど酷いものではなく、眠りから覚めた時に寝ぼける程度のことがあっただけで




旅立つ直前まで、私たちの問いかけに答える(頷く)ことができました。




キン肉マンや私たちの事は最期までわかっていましたから




よーこに名前を呼ばれ会話ができるだけで




幸せを感じました。




6月11日 体温は37.8℃ 身体が怠い様子。




翌12日にはDr.から、今日が峠ですと伝えられました。




「腫瘍熱ですから、高くなり過ぎると脳にダメージがあるかも知れませんので冷やして下さい。座薬は血圧の下降につながり危険ですから使用しないように。」




と言われ、Dr.の指示に従いました。





氷で脇や首、股関節などを冷やしましたが熱は徐々に上がり




怠さから横になったり起き上がったりを何度も繰り返し




ゆっくり眠ることはできない様子でした。




峠だと宣告されてからは、母も泊まり殆ど寝ずの看病でしたが




疲れた様子も見せず、献身的に娘の看病をする姿に





母親の強さと愛情を感じました。














6月1日



よーこから電話で呼び出されました。




「キン肉マンにね、これから私の状態が悪くなるのは間違いないから、実家に帰らなくて良いか再確認したよ苦笑」と話がありました。




末期の介護は、体力的精神的にも楽ではないとわかっていたのだと思います。




そして私に葬儀代を預けること、葬儀の段取り(裏方)を頼むとの話もありました。





キン肉マンにできるだけ負担をかけないよう




彼女なりの愛情と配慮だったと思います。





結婚前から癌の治療をしていましたから、夫婦のお財布は別にしていましたが





「病状悪くなったら葬儀代預かってね苦笑





と以前から私に言っていましたので、恐らくお迎えが近いことを感じていたのではないかと思います。





少し話していると




「A姉ちゃんのことを守るから。どんなことがあっても私が守るから」と





寝たきりのよーこに言われました。





突然の言葉に涙をこらえるのが精一杯で、何の言葉も出ませんでした。





なぜ「ありがとう」と言えなかったのか今でも後悔しています。





もし皆さんの愛する方が病と闘っているならば




どうかお願いです。




愛してる。大好きよ。幸せだよ。ありがとう。と思った時に言葉にしてください





照れくさいかもしれませんが、私のように後悔のないよう・・・





その頃もう既に癌が全身に転移していることを彼女も知っていました。





体調の著しい変化も感じていたのだと思います。





骨の痛みで身体は思うようにならず




呼吸も苦しくなってきたと言いました。





けれど酸素量は97~98%を保っていましたので




肺などに水が溜まるということではなかったようです。




Dr.のお話では、肺の腫瘍が呼吸の邪魔をして息苦しく感じているのだろうとのことでした。





モルヒネなどの副作用で便秘は酷くなり、痰が多くなりました。





自宅療養では看護師さんや家族が痰を機械で吸引することが多いようですが




人の手を煩わすことなく彼女は自分で吸引をしていました。




自分のことは自分で




これが彼女の信念だったように思われます。




ですから手が痛くチューブを握れない時にも




チューブを持つことを家族が手助けするだけで




自分の頭を動かし痰を吸引していました。




血圧は高く  140/100  前後




お迎えが近くなると血圧が下がると聞いていましたが、亡くなる前日の夜まで下がることはありませんでした。




薬(注射の薬液)の量とボルタレン座薬の量も(25㎎から50㎎へ)増え




口にできるものといえば、水、経口補水液、ガリガリ君程度





食事がわりの点滴はしていませんから、浮腫みはありませんでした。