集落の太平洋セメントのベルトコンベアをくぐった先に境内入口があります。
かわらじんじゃ
住所:福岡県田川郡香春町大字香春733
✱社号碑、一の鳥居✱
こちらの注連縄も鏡山大神社と同じ一直線でした。
社殿までしばらく階段が続きます。
英彦山神宮は社殿まで何十分もかかり比にはなりませんが
今まで訪れた神社の中では2番目に長い階段でした。
緩やかな階段なので、それほど辛くはありませんでした。
✱廻廊付き拝殿✱
✱手水舎✱
✱拝殿✱
◆御祭神
第一座 辛国息長大姫大自命(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
第二座 忍骨命(おしぼねのみこと)
第三座 豊比賣命(とよひめのみこと)
もともと香春岳(一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳)の山頂にあった三社が、
和銅2年(709年)に現在地に移設したのが、現在の当社。
その際は香春宮と呼ばれた。それ以前の三社それぞれの創祀・創建は不詳。
◆御由緒
和銅二年(709年)、一ノ岳南麓に一社を建立し、三神を合祀したのが
起こりとされ、延喜七年(903)、延喜式神名帳に
「田川郡三座」「香春社」として名前があげられる。
戦国期、豊臣秀吉九州平定につき社領没収等により、神社衰退、
小笠原藩によって再興し、明治四年『香春神社』と改称、
同六年『県社』に定められ現在に至る。
建築物として鳥居や手洗盤などは江戸初期であるが本殿以下は
文化・文政の頃に建て替えが行われ今に至っている。
ただし、西側回廊については損傷激しく平成に入り改築されている。
(境内掲示板より)
古来より宇佐神宮と共に豊前国を代表する大神社だった。
辛国息長大姫大目神社と忍骨神社に正一位の神階が与えられたのは、
承和10年(843年)のことだったが、
これは奈良の大神神社(859年)、石上神宮(868年)、
大和神社(897年)が正一位になった年よりはるかに早い。
平安時代初期における香春神社の社格は非常に高く、
現在豊前国の一宮は、一般的に宇佐神宮とされているが、
古い資料の中には香春神社を一宮と記しているものもある。
(Wikipediaより)
◆御神徳
海上・交通安全、鉱山開発、産業振興など
✱本殿✱
✱廻廊✱
✱社殿裏の並んだ仏像✱
✱創建1,300年祭の碑✱
✱御神木✱
✱天福神社、諏訪神社、蛭神社子✱
✱山王石✱
昭和14年6月30日午後3時、香春岳一の岳山頂より落石。
この時、社殿直撃は免れ人災もなく、当時そのままの姿で
現在の位置に鎮座されます。
奇跡神秘な神業、神宿る石として祀られています。
✱白八稲荷大明神✱
✱不動明王と石仏✱
境内の一ヶ所に沢山のランタナが咲いていました
お参りを終え、帰ろうとするとタヌキのような動物が。。
日本アナグマのようです。
こんなところで遭遇するとは♪
✱御朱印✱
社務所のような建物はありますが、無人でした。
御朱印はありません。
宮司さんがいらっしゃれば、いただけるようです。