放射線治療に…やられる日々‘夏⑥ | マウルルちゃんの平凡な一日

マウルルちゃんの平凡な一日

主に私の乳がん体験記を書いてます。

(2011.8月)





体はフラフラだけど、心は軽く、放射線治療科の担当医のもとへ。

診察をして、治療方針を聞いて、採血、胸のレントゲンを撮って、いざ病室へ。

緊急入院だったので、大部屋は満室のため、初めての個室。おぉ~快適(^O^)

パジャマに着替えて、ベッドに横になってスタンバイキラキラ

看護師さんが、血圧や体温を測り終えたころに、先生登場DASH!

入院といっても、食道炎自体は、痛み止めを飲む、ぐらいの対症療法だけで、主なことは、経鼻胃チューブと静脈点滴から、どんどん栄養補給して、治癒力をUPさせるアップアップそして、食道炎を治すDASH!といった基本的なことでした。

まずは、先生が直径5㍉ほどの細長ーいチューブを手に持ち、

右と左、どっちがいい?

先生のメガネは、キラリと光り、口元がうれしそうに歪みました(のように見えました汗)

さっきまでのウキウキ気分が一転、なんとも言えない恐怖(。。;)

どっちでもいいです、

といった瞬間、先生の顔はまさしく悪魔(のように見えました汗)、

じゃあ、右ね、

右の鼻の穴にチューブをブスッ、ズボズボ、ズボズボ、ズボズボ、

オ゙エエェ~、オ゙エエェ~、オ゙エエェ~、

チューブが喉を通過する度に、えずくえずく、涙と鼻水が、滝のように、これでもかって、出てくる出てくる、

あと、もうちょっとやよ、頑張って!ツラいな、ツラいよな、

看護師さんのやさしい掛け声が、唯一の心の励みでした(T∧T)。

チューブが装着し終わっても、えずきが治まらず、

知らないうちに、左腕に点滴用の針を挿入され、先生や看護師さんが、部屋から去っていきました。

家族にも、えずきながら帰るように促し、後ろ髪引かれながら帰って行くのを、薄目で見送りました。

そのあとの、栄養剤注入までの約1時間、どんな体勢でも、絶えず、えずいていたので、たぶん放心状態だったのでしょう、あまり、この時の記憶は残っておりませんf^_^;

その日の夕方、点滴とチューブから栄養補給をしました。

トイレに行きたくなるから、我慢せずに行ってね、と看護師さん言われたけど、1回も行かずに、我慢(v_v)

終わるまで4時間ほどかかったけど、ちょっとでも動くと吐きそうなので、
気持ち悪いのは、気のせい気のせい、と精神統一、無の境地。

その夜も、頭をベッドに付けるとえずくので、背もたれを直角にしたまま、やっと朝方に2時間ほど寝ました。


入院2日目の後半には、喉のチューブがあたっているところが、麻痺してきたのか、気持ち悪さが軽減し、何か引っ掛かってる、みたいな感覚になりました。


3日目以降は、恐る恐るトイレ行くこともなく、ベッドも水平にして寝ることができ、やっと待ちに待った安泰の時がきました\^o^/

朝夕2回、2パックの点滴と、1パックの鼻チューブの栄養補給。
胃に直接、栄養が入ると、みるみる力がみなぎって、治癒力もグングン出てきました。

一度、腕の点滴の針の刺し替えをしなけばならなくなって、新しい静脈に針を刺したら、栄養不足の弱くなった血管から、点滴の液体が染み出るみたいで、看護師さんたちが、どうしようか、とかなり苦戦してました。

そういえば、いつもの元気いっぱいの血管たちが見えない(¨;)

こんなところも、栄養不足。

‘やがて血となる骨となる’
というキャッチフレーズが、昔あったような気がします。
まさしく、体には栄養が必要なんだな、と実感しました。


そしてそして、6日目、体力も気力もみなぎり、食道炎もかなり回復した様子。

午後に、鼻チューブを、ニュリュリ、と引っ張りだしてもらい(入れるときの苦痛を思えば楽勝淲)、

その日の夕食、一週間ぶりに、口からお粥を食べました。

痛み止めを飲んでいたので、食道の痛みも軽く、
入院前は、半泣きになりながら、食べないと倒れるので、仕方なく食べていたお粥が、


なんて、おいしかったことか(T_T)、

一口一口、味わいながら食べました。
口から食べる、という当たり前のありがたさを、この時、身に染みて感じました。

口から無事にご飯が食べれたので、あとは、家で養生するのみ、ということになり、あれよあれよと言う間に、次の日には退院になりました。




この食道炎事件は、今思えば、ほんの2週間ほどのことだったけれど、私、家族、モナオくんにとって、大事な教訓となりました。


・一人で頑張らない!
・周りに頼る!
・治療はこわい!!!