森一族の平均寿命
我が家の過去帳には戒名と俗名、それに没年と没月が、1日から31日までの日付順にソートされた形で記載されている。1日のページを開けば、毎月1日に亡くなった先祖の一覧が書かれているわけだ。
月命日を拝むための物として非常に便利に作られているのだが、中には享年が書かれているものがある。
この享年を観てゆくと、なかなか面白い。
享年が書かれていないものもあるのだが、これを元に平均年齢を割り出してみようと思い立つ。
森家には久留里森家のほか、宗家を中心に赤穂藩主森家、三日月藩主森家がある。
この2つの藩主家に当家をあわせた3家について平均を出して見ることにした。
・赤穂森家については、佐藤誠著「森家大系図」から算出。
・三日月森家については、以前ご本家より拝借した過去帳の写しから算出。
・久留里森家については当家の過去帳と家譜から算出。
データ範囲は津山藩改易後の元禄10年から明治45年までの没年とした。
さて結果を観てみよう。
赤穂森家17.9歳 (対象者46人)
三日月森家 37.4歳(対象者29人)
久留里森家48.3歳(対象者39人)
これはあくまで単純に計算したもので、これを基準に考えてはいけない。
実は、赤穂・三日月の両家については、1歳~12歳の早世者が多く含まれているからだ。
それもなぜか5歳から7歳に集中している。
そこで、18歳以下の未成年者を除いた対象者で再計算してみた。
赤穂森家37.3歳 (対象者18人)
三日月森家 57.2歳(対象者18人)
久留里森家56.1歳(対象者33人)
総括してみると、最高年齢者は森長継(元禄11年)の89歳。これに森長俊(享保20年没)の87歳が続く。意外なことに、文化が進歩した後世のほうが高年齢化と思いきや、この2名はいずれも元禄~享保期の人物で、データ的には初期の人物だ。
女性では久留里森家の7代・森光新の妻(明治36年没)で78歳。
江戸時代の平均年齢は50歳といわれている。
この年齢と比較すると、赤穂森家の平均年齢は格段に低い。
赤穂森家の最高年齢者は森忠興の長女で74歳。これに60歳と51歳が1人づつ続き、ほとんどは30~40代で死亡している。
これに加えて、傍系に女性が多く、他家に嫁いでしまっていることから、これらの没年が算出できず、データのほとんどが直系であることが、平均値を低くした理由となった。(3家ともに女性の年齢は比較的高い)
三日月森家では初代の森長俊を中心に80歳以上の長寿者が目立ち、これが平均値に大きく作用した。80歳以上の高齢者を除いた場合は、赤穂森家とほぼ変わらない数値になる。
久留里森家については高齢者は少ないものの、傍系の兄弟が多く、それぞれが比較的平均年齢を超えていたことから、高い平均年齢を保つことができた。 他の2家に比べると早世者が少ないが、これは単純に家譜や過去帳に記載されなかったのかもしれない。
以上のようなことで、有用なデータが作れるかと奮闘してみたものの、蓋を開いてみればこのような結果で、あまり良い資料にはならなかった。
貴重な休日に無駄な1時間を浪費してしまった。