あるべき場所に返す | blog.正雅堂

あるべき場所に返す

ここにあるのは位記と呼ばれる、戦前の証書。先日も紹介した史料だ。

このたび、正式に我手を離れることになり、取り上げることにした。


位は聖徳太子の冠位十二階制度に始まり、第二次大戦を終えるまで脈々と受け継がれてきた日本の文化であり、階級としての役割を担ってきた。 現在では、国に功績のある人が亡くなった時、その故人に対して贈られる物となっている。たとえば、小渕元首相や竹下元首相は死後、正二位を贈られた。 


同じ正二位には乃木希典、森有礼などがいる。正一位には織田信長に豊臣秀吉、水戸黄門でお馴染み徳川光圀など。だが彼らは明治・大正時代に叙位されたものだ。ちなみに近年正一位や従一位を授けられた人物(故人)はいない。


 この証書に書かれた正四位は、「しょうしい」と読む。江戸時代まではこれに上下がついて正四位の中でも、「正四位上」、「正四位下」と区別された。美作一国を統治した森忠政公が従四位上であったことを考えれば、この正四位は高い位である。


この位から上の官位を与えられる証書には、すべて天皇の御璽が押印された。従四位より下の官位には宮内大臣の官印が押され、(印刷だが)宮内大臣の署名が入る。


正一位と従一位は天皇陛下のお手自ら頂戴する「親授」で、正二位から従四位までは宮内大臣の手から頂戴する「勅授」となる。それ以下は「奏授」といって、所轄官庁の大臣室などで担当の大臣から手渡される。文学の功労者は文部大臣から、農業の功労者は農水大臣といった具合だ。

もちろん現在は故人に対して叙されるものなので、この形式は異なる。


 関係者の知人に聞くところによると、高い位を贈位されるケースが多いので、ほとんどは宮内庁侍従職が天皇陛下の勅使として告別式の会場や故人の自宅を訪ねるようだ。このとき叙位の証書と共に祭祀料も届けられる。


話を戻して、ここに書かれている宮内大臣の松平恒雄は、会津藩主松平容保公の四男である。


この証書は従四位なので勅授であるから、この松平宮内大臣から授与されることになる。

そして、証書には天皇の印鑑、「天皇御璽」が押捺されている。天皇が決済した証明である。


このような証書がなぜ当家にあるのか。 様々な事情があっての事なので、ここに書くべきではないのだが、長い間この持ち主についての消息が判らないでいた。


それが、最近になって突如判明したのである。

残念ながら当人は30年以上も昔に他界されていたのだが、その故人は某有名私立大学の学長を勤めていた人物だった。 早速、大学の総務課に書面で問い合わせてみると、翌日学長よりご連絡を頂戴した。


 大手企業ならどこにでもある「社史編纂室」のようなものが、この大学にもあるのだという。そして歴代学長の所縁の品を収集し、付属の博物館に陳列しているのだとか。 それならば、当家に残され続けるよりもよっぽど有意義である。是非とも寄贈または委託させていただきたいと申し出た。


正直これはオークションや、古美術商に行けば、法外の高値で取引されるような品物かも知れない。だいいち御璽が押された史料はそう簡単にあるものではない。

現在において御璽が押捺される書類は、

1.詔書、法律・政令・条約の公布文

2.条約の批准書

3.大使・公使の信任状・同解任状

4.全権委任状、領事委任状、外国領事認可状、認証官の官記・同免官の辞令

5.4位以上の位記


のみとなっている。どれを取っても尋常な品物ではなく、だからこそ金銭で売買することは私の本意ではない。


それに、これは文豪の書簡や葉書を高値で売買するのとは少し違う。あくまでも昭和天皇お手自らの証書であり、我が国最高位の官印が押捺されたその文書は、交付された当初から大変有難い存在として扱われ続けてきたものである。そのような書類を如何に大金であろうと金額で評価されるのは、我が国最高の文化に対する評価額が決まるようで怖い。


本来ならば遺族を探し出してお返ししたい気持ちもある。大学に頼めば何らかの協力もしてくれるだろう。

だが、本来そこにあるはずの証書が、何故か当家にある。 ということは、せっかく返還しても再び世に出回るということも十分考えられる。それならば、こうした機関に託したほうが証書も安住の地を得られて幸せというものだ。


つい先日、コレクターのあり方と題して偉そうな薀蓄(うんちく)を書いてみた。

収集品を持つコレクターは「一時的預かり者」であり、手元において十分楽しんだあと、最終的にはあるべき場所に引き渡すというのが、コレクター使命であり、理想の姿なのだと私は考えている。


これに関して言えば、私はこの種の物を集めるコレクターではないが、その理念が一つ実践できたことが何より嬉しい。