官僚主導から政治主導へ。大きな変化が国会では起きています。自民党政権の時代、国会の委員会審議は、大半が大臣にかわり官僚が答弁していました。しかし、政権交代後は大臣自身の答弁が増えた上に、補足するのも議員の副大臣と政務官になりました。
 自民党時代は盲腸と揶揄された副大臣・政務官が、政治主導の重要な担い手に変わっています。本号の政務官座談会に加え、『議会政策情報』試行版は数字で検証しています。


(『プレス民主』2011年1月7日発行 247号)


 菅さん、戦う相手が違うのではないですか? 今、民主党議員が為すべきは、一致協力して民主党政権の再生を期すことしかないはずです。参議院の過半数を失って臨んだ先の臨時国会で、最前線の兵士たちがどれほど苦しんだか。大本営の最高指揮官たる菅さんが理解してないのではと、悲しくなります。
 平成23年、はつ春のお祝いを申し上げます。例年どおり元旦は宮中に参内、午後は小沢邸へ。夕方は家族一同で赤坂の氷川神社に初詣で。皇居では正殿の儀式が始まる前に控室で与野党、衆参の議員たちが交歓するのですが、昨年に比べ民主党議員は心なし精彩なく、自民党議員が元気復活の趣きでした。
 小沢邸の新年会は国会議員が約100人。前・元議員や配偶者、その他の来賓を加えて150人程でしたが、2部制の去年より少し減ったのは織り込み済み。乾杯の発声をした菅副総理(当時)も、最前列でにこやかに挨拶していた蓮舫仕分人も今年は姿を見せなかったのですから、数が減るのは当然でしょう。
 赤坂氷川神社は、江戸時代の1730年に8代将軍徳川吉宗が近隣の数社を集めて創建した「新しい」神社です。その境内は旧三次(みよし)浅野家の下屋敷で、私の小説のヒロイン瑤泉院浅野阿久利が幼時と、赤穂浅野家の改易後に過ごした故地でした。そこで毎年、ここに参詣することにしています。