今まで書いてきたように、幼稚園から始まったいじめ

それに必死に立ち向かう中でいつも、これ(この努力)で自分自身が変われなかったら...

イジメがなくならなかったら... 死のうと思いながら生きる毎日の中で

常に生きてることに現実感がない 先のことが想像出来ない

 

まるで誰かの夢の世界を生きてるような虚無感

(このことについてはまた別のテーマで書こうと思う)

 

それまではそれで良かったが、いざ就活という時期になって

そのことが重くのしかかってくる

(自分の将来について)何も考えて来なかった、準備が出来ていなかったことに気づく

 

唯一の頼みの綱は三回生から選択していた教職過程

そのための勉強など、四回生になっても、全くしていなかったが、それを

取って置けば、なんとかなるんじゃないか?

就職浪人しても親への言い訳もたつし、一応小学校時代から

憧れを持っていた職業だし、それ以外の道が見えなかった

 

四回生の6月上旬だったと思うが、自分は母校の高校に実習の希望を

出していたので、地元に帰ってきた そこで徹底的に挫折感を

味わうことになるとも知らずに...

 

自分は文学部なので、国語科の教諭に指導を受けることになる

教諭の選別は恐らく前年度のうちに新年度にクラスを持つことになる教諭を

決めておいて、その中から教育実習で指導する学生を割り振るという形だったのだと思う。

 

国語科の実習生は三人 クラスを持っている国語の教諭も三人だった

教諭の一人は高校時代に教わったことがある方であったが、俺は別の

教諭が指導教諭についた

実習生のうち、男性は俺だけで、全員現役だったので、同級生である

二人とも優秀で、学年で20番以内に入ってるようないわゆる

”まじめちゃん”で国立大学の学生だった

 

俺自身は決していい加減な気持ちで実習に望んでいるつもりではなかったが

社会人としての緊張感というものに欠けていたし、実習中も担当教諭から

注意を受けた それに関しては俺の意識が甘かったので注意を受けて

当然のことだと思う 

だが、それとは別に学校全体に俺は歓迎されてないような雰囲気を

感じていた そしてそれは俺の思い過ごしなどではないということが

後に発覚する これは、次回以降で書こうと思う

 

現場中心の教諭の中でも、進学校で教えることにこだわる教諭と

うちの親父のように実業高校や成績下位の普通科にこだわる教諭と

2パターンあると思う

俺の親父は勉強が苦手で挫折感を味わって、って入学してきた生徒に

学ぶことの喜びや部活で一生懸命になることの素晴らしさを伝えることに

プライドを持ってる教諭だった

夜遅くまで、部活を見て休日を返上して遠征に連れて行くタイプだ

 

 

一度、親父が話してくれたことがある 親父は俺と同じように背がちっちゃかったので

球技、特にバスケは大嫌いだったのだという

でも親父は25年くらいに渡ってバスケ部の顧問をしてきて下越地区で優勝させたこともあった

何故、親父がそこまで一生懸命だったかというと、当時地元の実業校に赴任した際、

無理矢理、ルールも知らないバスケ部の顧問を押し付けられたそうだ

 

生徒にランニングコースを指示して走らせようとしたら、嫌がったのだという

親父が理由を尋ねると、そのコースは親父や俺の母校を通るコースで

「俺ら勉強でもあいつらに勝てないのに、バスケでもあいつらに敵わない

恥ずかしいから前を通りたくない」と言ってきたそうだ

それを聞いた時、親父は”こいつら勝たせてやりたいと思ったそうだ”

 

お陰で父に遊んでもらった記憶は前述の山登りくらいしかないのだが

そんな父の背中を見て育ったので、そーいう教師になりたい

そしてイジメをなくせるような教師になりたい と思っていた