最近、もやしと一緒に深谷の野菜を運ぶ仕事も始めました。信頼できる地元農家が育てた『今そこにある野菜』。それを深谷の私が運べる範囲内で運んでいます。
それらの野菜価格は農家の求める価格を基準として設定していますので、過当競争に煽られた安売り野菜と比べれば、高くなりますがいわゆる『適正価格』を意識しての価格付けになってます。品質から言っても扱う誰もが損をしない価格です。そしてこの野菜の大きなポイントは、地元農家が今普通に家で食べている野菜なのです。
これらの地元農家が自分で食べる用の野菜、納め先であるこだわりの料理店での評価はどうかな?と思いましたが定期的にご注文をいただいていますのでそれなりに認められているのでしょう。
6月の後半からこの仕事を始めて、さっそく困ったことになりました。県内、いや国内でも有数の野菜の産地である深谷市でも採れる野菜が限られてきたのです。
6月にはあったキャベツ、レタス、ニンジンも無くなり、トマト名人T君のトマトときゅうりも終わりました。最近のすっきりしない気候も野菜の生育を遅らせているようです。岡部地区のトウモロコシも7月半ばまで、です。本格的にそろうのは8月に入ってから、のようです。
私は納め先の料理店から注文を受ける時に、大変心苦しいのですが
『・・・・はもう終わりで・・・』
と断る野菜が多くなってしまいました。それでも理解あるそのお店は『何があるの?』とお聞きになったうえで『ある野菜』をご注文されます。
料理店にとっても難しい時期でしょうけど、やはり私は
『これが自然であり、地元生産地の身の丈である』
とご理解されるべきだと思うのです。
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以前、青森の野菜ソムリエ(ジュニア)さんとお話をしたことがあります。私は勢いでこんなことを言って驚かれました。
『野菜なんて無くてもいいと思うんです』
・・・・もちろん野菜を否定して言っているわけではなく、その場にある野菜を食べ、無い時は無理して食べなくてもよい、という意味です。つまりその地の『旬のもの』だけ食べれば、ということです。どうしてもその場に無い野菜が食べたければ
『私たち人間がその産地へ行けばよい』
のだと思うのです。
野菜に長旅をすれば、それだけ様々な分野での負担が起こります。鮮度を保つための工夫、品種改良も進み、化石燃料を余計に消費することにもなるでしょう。かつてはそれをビジネスチャンスとしましたが、私はそんなことはする必要はないと思います。長旅をしても野菜よりも頑丈で品質が落ちない私たち人間が動けばいいのではないでしょうか。無理して遠くから野菜を運んできて安く叩かれるよりは、人間が動いたほうが経済波及効果が高いかもしれません。
『(畑の少ない)東京育ちの私には地元の野菜重視では困る』
そんなことをおっしゃった野菜ソムリエさんもいました。確かに都内では畑は少ないです。その代わりに人はたくさんいます(笑)。地方の野菜産地から上京している人たちは多いことでしょう。
『人と野菜は繋がっています。私は東京が野菜と離れている場所とは思えないのです』
既存の物流だけではなく新たな流れを起こせば、これだけの人の繋がりがあるのですから、東京へはいくらでも新鮮な野菜が入ってくるはずです。
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『(野菜に関して)別に無理しなくても良いと思うんです。あるものを売れば』
これは昨日、あるCVS(コンビニエンスストア)の企画の方がおっしゃった言葉です。この方は地産地消色を打ち出したいようで、ふとしたつながりでこの方と打合せをする機会が増えました。
野菜を含めた、いつでもどこでも大量生産、大量消費の流れが飽和状態となり、その揺れ戻しと申しましょうか、かつては自然であった流れに戻りつつあるのかもしれません。
野菜はいつでもどこでも絶対に必要ですか?
私はある野菜を食えばいいと思います。