今の東京オリンピック招致に見る、スポーツの大義 | 松本浩一(杉並区内でほぼ毎日街頭演説してます)のブログ

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政治の話に限らず、地元杉並区のお得情報、イベント情報、
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たいと思っています。

 遅ればせながら、大震災から2年。犠牲になられた多くの皆様のご冥福をお祈りいたします。

 私事ですが、ここ最近風邪をこじらせてしまい、本日やっと復調を見せております。寒暖の差が大きい季節ですので、くれぐれもお気を付けください。

 最近、オリンピック招致のためだろうかオリンピックの話題がゲリラ的に行われています。東京の町の中も「オリンピック・パラリンピックを東京へ」と幟や旗、横断幕がつけられ、なんだか盛り上がっているかのごとく町が演出されています。

 前回の招致活動でも多大な資金が大手広告会社や委員、有名選手たちに渡ったということでありますが、今回も同様にその資金が多く宣伝や接待に使われているのであろうと思います。

 近年危惧しているのが、このオリンピックなどスポーツの世界大会の大義がなんであるか、大義が見失われているのではないかということです。もちろん、昔から商業的な面も多くあるスポーツですが、最近のスポーツに感動が少なくなっているのは、この大義と国々の背景が稀薄になっているからではないでしょうか。

 商業スポーツはエンターテイメント性を持って多くの人々を魅了しています。特に近年サッカーなどを筆頭に盛んになっています。ある意味貧困からの脱却という大きな夢をも与えています。多くの国々で、商業スポーツは盛んになり、日本でも野球、サッカー、ラグビーなどなどプロ化が盛んに行われている中で、人々を魅了する娯楽として大きな成長を遂げました。

 しかし、選手の技術の向上、エンターテイメント性はめまぐるしいものにはなりましたが、感動を得ることがあまりなくなってしまった様に感じてなりません。

 スポーツの世界大会は、その土地の社会状況、時代背景などを背負い選手たちが奮闘する姿に感動するのではないか。そこには大きな大義があったように思えます。南アフリカのアパルトヘイトからの脱却の中でのラグビーワールドカップの南アフリカの優勝はその重みを感じたと思います。悲願の金メダルを勝ち取った長野五輪でのスキージャンプ団体は感動を覚えました。サッカーの女子代表の一生懸命な姿は私たちの感動を呼び起こしました。

 個人的であるが、私は、ラグビーのアイルランド代表の「アイリッシュ・コール」を聞くたびにグッと身が引き締まります。これはこの歌に大きな背景があるからです。

 伝統と国家の威信をかけた戦いは時に、感動と落胆、選手に対する怒りを生み出してきました。いい意味でも悪い意味でもスポーツのすごさであると思います。それは今も昔も変わりません。

 では、近年のオリンピックに大義を感じなくなってきたのはどうしてだろうか。商業主義に囚われ、オリンピックの精神がみられなくなったからでしょうか。

 一つ一つの競技に、選手に感動や大義を感じることはあります。しかし、運営する側、招致活動を行う側に問題があり、大義を感じなくなるのではないのかと私は思っています。

 胡散臭い招致活動と感動的な競技とのかい離が、多くの疑問を私たちに与えているのではないでしょうか。復興支援の名を借りて、体罰問題を撲殺して、子どもの夢を語りながらも、何か私益を感じてしまう。もちろん、メディアもそのことに、進んで加担する。

 いつの間にか、支持率が70パーセントを超えているオリンピックの東京招致ですが、その数値の信ぴょう性を疑わしく思います。この招致に本当に大義はあるでしょうか・・・。

 スポーツは素晴らしいものです。私たちの日常に勇気と感動を与えてくれます。しかし、スポーツが目的ではなく、違う目的を隠すかのごとく運営している側も存在していることもきちんと考えなければなりません。これはスポーツと興行の違いであると私は思います。

 オリンピックの大義をもう一度見直す。見極めていくことも必要であると私は考えています。