1.松本麗華(三女) | 木の葉が沈み石がうく
 はじめまして、松本 宇未(仮名)と申します。

 わたしはオウム真理教の創始者である、麻原彰晃(松本智津夫)の次女です。

 マスコミの報道で、「松本智津夫の次女」あるいは「カーリー」という表現を目にした方もおられるかもしれません。でも幸いなことに、わたしは有名になることなく、今まで生きてくることができました。今後とも無名のまま逃げ切ろうと考えています。

 わたしには2人の妹がいます。

 1人は松本麗華。「三女アーチャリー」として、マスコミや公権力に追いかけ回され、ノイローゼになっていた子です。
 とにかく人目を避け、社会に埋没して生きることを願っていました。
心理学を学び、いつかカウンセラーを生涯の仕事にしようと、生きていた彼女。

 しかし様々な努力はことごとく打ち砕かれ、ついにはめでたくアレフの幹部に「認定」されました。


 彼女は2015年3月20日に、自身の手記『止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』を講談社から出版しました。

 自分の名前と顔を出しての出版を彼女が決意したとき、わたしはもちろん反対しました。

 彼女の今までの努力は、カウンセラーになる夢はどうなってしまうのか。名前と顔を出して、彼女は一体日本のどこで生きていけるのか。スーパーを歩いていたら、「アーチャリーがいる」と通報される人生に戻りたいのか。現在の顔をさらすのは、あまりにリスクが高すぎる。

「なんで顔と名前を出そうと思ったの? 生きるのがもっと大変になったらどうするの?」

わたしは彼女に問いました。

「ネットがなかったら、名前と顔を出す覚悟はできなかったかもしれない。でもネットがある限り、どうせわたしは生きてはいけない。宇未ちゃんも知っている通り、ネットに残された名前と写真を消そうと、Youtubeやニコニコ動画などに削除依頼を出したけど、削除してもらえなかった。仕事をしたくて履歴書を提出しても、ネットで名前や過去を調べられたら採用されない。運良く採用されても、あとから生い立ちがわかったら首にされてしまう。息をひそめていても、結局生きられないんだよ」

 悲しいことだけど、火事に遭った人がビルから飛び降りるようなものだと理解しました。飛び降りたら怪我をするかもしれない。死ぬかもしれない。でも飛び降りなければ、どうせ死んでしまう――。


 確かに、オウム事件から20年経っても、わたしたちの人生から困難は去りませんでした。

 きょうだいの中で一番マスコミや公権力から狙われたのは麗華です。果てには、公安調査庁による「幹部」認定。

 「アレフの幹部」を、どこが雇ってくれるのでしょうか。少なくとも、カウンセラーに採用してくれる場所があるとは思えません。

 公安調査庁が彼女を「幹部」と認定したとき、わたしは、公安調査庁は彼女にアレフに戻って欲しいのだと理解しました。麗華の社会で生きる道を閉ざし、アレフに戻らせる。公安調査庁が年々削減され続ける予算を死守するためには、彼女のように名を知られている人間が、どうしても必要なのでしょう。

 なぜ彼らがそれほど必死になっているのか、公安調査庁の予算の推移を調べてみて下さい。


 社会で生きることを許されず、政治に翻弄され続けた麗華は、本を書き、自分自身が情報の発信者となることで、人生に活路を見出そうと決意しました。

 しかし、本の執筆は簡単なものではありませんでした。過去のトラウマと向き合うのは、なかなかに大変なことです。時には何日も泣きじゃくりながら、原稿を書いていました。よく途中で挫折せず、最後までやり通したなと思います。

 彼女はブログもやっていますが、『止まった時計』にはブログとは違う内容が書かれています。

 賛否両論あると思いますが、まずは是非、読んでみてください。

 もう1人の妹については、次回触れたいと思います。