宮沢賢治晩年に設計?「最後の花壇」が公開//WINS松園 | 松園劇場

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 宮沢賢治が亡くなる数年前、
 
花巻市の親戚宅に設計して造られたと伝わる花壇が、
 
改修を経て一般公開されていいます。
 
約200枚のれんがで花壇を区分けしており、
 
円形や四角形、曲線などの幾何学的な模様が配されています。
 
正式な記録は残っていませんが、
 
専門家は賢治が設計を手掛けた可能性が高いとみています。

花壇があるのは花巻市花城町の旧橋本家別邸。
 
賢治のまたいとこで大津屋呉服店を営んでいた2代目橋本喜助が、
 
病弱だった妻のために1928年に建てたものです。

平屋で2012年まで喜助の家族がいたが、転居で空き家になっていました。
 
住人と付き合いのあった同市の整体師一ノ倉俊哉さんが
 
「花巻の古い建物を残したい」と買い取りました。

一ノ倉さんによると、賢治は喜助の1歳下で、
 
旧制盛岡中学で同じ寮に入るなど親しかったということです。
 
賢治は喜助の妻の見舞いのため別邸の南東側に縦9メートル、
 
横4メートルの花壇を設計し、1930年ごろに整備されたといいます。

花壇は荒れていましたが、一ノ倉さん一家が昨年秋に手入れを始め
 
雑草を抜き、整備当時から残る縦横22センチ、
 
幅5センチのれんがを敷き詰め直した。
 
賢治が好んだというサルビアやマリーゴールド、
 
チューリップが植えられています。
 
2011年に花壇を調査した法政大の岡村民夫教授は
 
「れんがで歯車状の円を造ったり、
 
花壇の中に通路があったりなど賢治の特徴が多く、
 
最後に設計した花壇の可能性が高いといいます。
 
傾斜や日当たり、眺める角度も考慮されている点が賢治らしい」
 
と指摘しています。

宮沢賢治記念館によりますと
 
賢治設計による花壇は同館ポランの広場や
 
総合花巻病院の中庭、花巻温泉バラ園で復元されています。
 
 
 

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