記者クラブの弊害で、海外から報道の自由度が低いと評価されている事実がある。


記者クラブの存在再考を=東国原宮崎知事、また問題提起  


記者クラブ・再販制度・クロスオーナーシップ、この3点が、日本のマスメディアを硬直させている問題の根幹にあると感じるのだが、以前も東国原知事の定例記者会見の意義を問い、記者が立場もわきまえずに醜く喚き散らしたのが印象的だった。

定例記者会見は必要だと感じるが、記者クラブ制度に付いては、無条件で廃止し、登録制のブリーフィング形式に移行するべきではないかと感じる。



海外のメディアからも「記者クラブ」という、日本独特のシステムに対しての批判は強く、報道側に都合のいいときだけ「海外ではこのように」と伝えるが、この件について「海外」と比較する事は無い。記者クラブのメリットと感じられるのは、皇室報道でマスコミの暴走を防ぐ事に役立つことと、誘拐事件などでの「報道協定」ぐらいではないかと感じる。

報道協定に関しては、誘拐報道で被害が拡大した場合や、事態の悪化を招いた場合のペナルティーを厳しくすれば抑止効果もあるのではないかとも感じる。

なにより、特定の企業(新聞・テレビ)にのみ、情報を独占的に扱わせると言うのは、「大本営発表」と同等であるし、独占禁止法に触れると判断されないのが不思議だと感じる。

また、紙面も横並びになりがちで(主義主張ではなく、扱う記事の内容が)記者の取材能力の向上にもつながらない、新聞テレビどちらを見ても、主なトピックはどちらもさほどの違いも無く、これでは、情報談合だと批判されても仕方ないのではないかと感じる。


雑誌社や、フリーの記者からすると、格段に恵まれた環境を与えられて、取材対象と癒着していないのかと言う疑念を読者・視聴者に与える事で、メディア不信が高まる要因にもなっている。


そして、記者クラブにいる記者の傲慢な態度にも、疑問がある。

以前、内閣府が記者会見の様子をストリーミング放送する提案をした時、記者クラブ所属のメディアは一斉に噛み付いた、これは記者会見を「特権」と理解した上で、記者クラブ内の利権を守ろうとしているだけにしか見えなかった。


そして、今回の東国原知事の発言(こちらで見れます) で、記者との飲み会を1時間半で中座した件を批判されたと言う趣旨の発言があるだが、このような勘違いした、思い上がりとも取れる発言は、不信感を招くと感じるし、そもそも、なぜ記者と知事が親交を深めなければならないのか疑問に感じる。

以前の定例記者会見についての発言で、ニュースZEROのキャスターである村尾氏が「我々の後ろには、国民がいる」と発言していたが、それほどの信頼は今のメディアには無い。

そして、この問題で記者側からの発言と言う意味で、評価する点もあるのだが産経新聞の記者ブログでの 「知事側、クラブ側双方に言い分はあるだろうが、同業者としては、クラブ側が知事にナメられているのではないかと疑ってみたくなるのだが・・・」との発言にも、記者職に対する、特権意識が現れているのではないかと感じる。

それほど、国民と乖離している自覚が無いのが、とても不思議に感じる、優遇された記者クラブの閉鎖性の弊害の一例ではないかと感じる。


企業の談合を批判し、開かれた市場を求めるマスコミが記者クラブに執着する。この自己矛盾を理解できるように説明してもらえれば納得できるが、今のままでは、単純に談合だろと批判されるのは当然だと感じる。