キャラ違い

キャラ違い

働くとか、書くとか、考えるとか、キャラ違い。

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友達がいま、インドに行っていてハチャメチャなことになっている。

インドにはやられないと自信満々だった彼だが、
初日から悪徳ツアーでクレジット切らされたり、パッカー日本人女子に恋して追いかけようとしたり、そしたら嘔吐腹痛熱にうなされたり。
完全に帰って来て「俺、結局、インドに呼ばれてたのかなぁ~」とか言っちゃうタイプのやつだ。
「生と死を飲み込みながら流れていくガンガー」を見て悟りとか開いちゃうタイプだ。

と、ちょっと痛いなとか思ってるんだけど。
とはいえ。
そんな私も、恥ずかしながら例のガンガー付近にて生と死を意識してしまった。同類。

「ガンガーで」というとそれなりの旅人に好まれそうな話になるのだけれど、
実際には、ゲストハウスの階段で滑って後頭部打撃という間抜けな事態。

「グローバル社会におけるデジタル化」は、「人を不安に陥れる環境整備」と同義語らしく、
ゲストハウスのPCから家庭の医学を調べ、
「24時間以内は人と一緒にいるように。容態が急変する恐れがある」との文字を目の前に半泣き状態。

それからわーわー騒いだり色んなやりとりがあった末、
結局、真っ白でカビ臭くて暗い無駄にベッドが広い部屋で一人寝る事に。


朝起きた時の、あの瞬間。


あ、わたし、生きてた。


あ、生きてた。
よかった。


そんなのが、ぽつんぽつんと浮かんできた。


それから見る朝日。
太陽、というか、何かもっと大きな力への感謝。


ありがとう、今日もよろしくお願いします。
(CTスキャン無事に終わりますよーに)


このときの生きていることに対する素朴な嬉しさったらもう。
こんな私の中心から珍しく純粋に湧き上がる綺麗な感情でした。
澄んだ湧水が滾々と湧き出てきているようでした。大袈裟。

当時の私の日記には、今だからこそ笑ってしまうほど死を意識した遺言みたいなものが書かれています。てへぺろ( ´艸`)


そんな朝に思ったは至極単純。


毎日、朝、感謝したり「今日も一日お願いします」と思うこと。
$キャラ違い

夜、「今日も一日ありがとうございました」と思うこと。
$キャラ違い

一年の終わりに感謝をし(実際にはワイワイし)
$キャラ違い

一年の初めに今年の幸せを思うこと。
$キャラ違い


言う相手は、宗教がある場合は神様に対してかもしれないし、日本では先祖や霊かもしれないし、誰でも何でもいいんだけど。
(日本のいいとこは、それが太陽とか月とかにもなりえることだと思う)
(何かしらの大きな力というものに助けられているって思いは、
 対象が何であれ人間の根本に持ってるものな気がした。)


朝に夜に、「一日一日」をちゃんと「一日」「一日」として、
丁寧に生活するのが本来の人間であり生き物だなと。

それが崩れると、いつの間にかどこかに何かを置いていってしまったり、会社にいるゾンビさんたちみたいになってしまう気が。(ゾンビさんたちは5営業日家に帰ってない人たちです。ゾンビみたいにのっそりした空気を纏っています)


凝縮してパパっと済ませた毎日でたどり着ける場所もあるけど、
一日一日丁寧に生活するからこそ湧いてくる人間性って、おじいちゃんおばあちゃんになってからの素敵な皺に現れる気がする。


死ぬかと思って寝る前に書いた日記の内容。
実は、毎日毎日思っていることと同じことだった。取り立てて新しさもない。
そんなもんなんだな、死ぬときってヽ(゚◇゚ )ノ

言葉にすると、本当にインドに行った人の典型的なカタチすぎて失笑。
これがバレたら、サブカル嫌いな友達にキモイと思われ、イタリアからサヨウナラと言われることでしょう。

春が待ち遠しいですね。
今年は、地震やら仕事やらで、
現実を直視できない日々が続いたので、よく本を読みました。
って言っても、そんなに多くないけど。

せっかくなので、読んだ本と共に一年を振り返ります。パート①です。

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■さあ、才能(じぶん)に目覚めよう―あなたの5つの強みを見出し、活かす
なんだっけね、私の才能って?
研修用によみました。

■アルケミスト
大切なものは、ほらそこにあるよ的な本。
旅をするわくわく感と、偶然かと思いきや必然的な部分。
人生やっぱり、でっかい人に仕組まれてるのかな。
モロッコの混沌としたタンジェの風景、ラクダで横断する砂漠、
砂漠のオアシス、飛んでくる鳥、美しいベルベル系(?)の女性、砂嵐、
ピラミッドが見たい人へ。
ちなみに私の中の砂漠オアシスは、ペルーのICAです。FB参照。

■死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
先週府中に行ったとき、刑務所を初めて見た。
有刺鉄線が無かった。
普通の家にも使われるようなピンクと茶色の間みたいな色の塀だった。
高かった。
中の世界なんて全く見えなかった。
府中が地元だったら中の世界が気になって、
きっと弁護士を目指しただろうなって思った。

そのくらい、幸いなことに私と犯罪者の距離は遠い。

オウムの死刑確定囚13人。
遠い話。
けれど、この数字を、少し近くで考えるようになります。

■村上春樹 雑文集
雑文の集まり過ぎてなんだったか思い出せない。
スピーチとかの集まりだっけ。でも読んだときは好きだった。
あ、カキフライの話とかだ。オウムとか卵と壁の話も載ってる。
彼のエッセイを読むと、あらゆる事柄を言語化したくなります。

■村上ラヂオ
…これもなんだっけw好きなんだけど。カキフライ?w

■神の子どもたちはみな踊る
3.11地震の日。品川で動けなくなり、ビルのロビーにいた。
私のPCの電源はなくなり、先輩は普通に仕事。
2月に完成したばかりのビルの天井からは
余震ごとにパリパリした塗料が落ちてくる。
公衆電話を求めて近くのホテルに行くと、
段ボールを敷いて横になる人々。ここが東京だなんて。

そんな不安な中、営業中の本屋さん。
思わぬかき入れ時にバイト店員だるそう。
春樹さんの棚に、私が読んだことの無い本が1冊だけあった。
それがこれ。開いてびっくり地震の話。
ただ、あの日は、現実の方がフィクションだった。

おじさんが話を作るクマきち(?)の話があったかい。
あと、かえるくんと闘う話。

■ジョン・レノンが見た日本
彼の絵が、好きです。
平和で安心するのです。

■ピカソはぼくの親友なんだ
人間味あふれるピカソのお話。
でも、厭世感漂うゴッホの話の方が好きです。

■パリ・ロンドン放浪記
地震の後、お風呂に入るのが怖かった時期がありました(裸で逃げるの嫌だから)。
でも部屋は寒くて、相変わらず怖い。

このままじゃダメだ!ちゃんとお風呂に入るぞ!怖くないもん!と意気込んでお風呂に入ることを決めた時、援護射撃を要請したのがこの本でした。

一瞬にしてお風呂から1927年のパリに移動。
幸いその町は、貧乏だけど活気と可笑しさに溢れた場所。
自然にお風呂も克服しました。

もう臭いし、音はうるさいし、油でべとべとだし、食べ物まっずいし。
油臭い感じとか、たばこの煙とか、ほこりっぽさとか、
人の粗さとか、飢餓感とかの感覚。
こんな人間らしさを凝縮した街を、歩き回りたい!!

これほどまでにワクワクする本も、そうそうないよ。
これほどまでにワクワクさせる描写を、私もしたいよ。


■ある日、
写真集。
震災後1ヶ月ぐらいの本屋さんで、既に被災地の写真集を置いていた人。
その人のアフガニスタンやイラクで渦中の時期を撮った写真集です。
やっぱり今でも恥ずかしいですが、
「現地に行って目で見たい、伝えたい」と震災後すぐに思っていて
自分は不謹慎なのか、ただのミーハーみたいなものなのか、とウダウダしていた時期。
彼の「この本は、歴史に立ち合いたいという欲望の結晶である。」との明言に、
そうゆう感情もありなのか!と、なんとなく雲が晴れた。
彼が切り取るシーンは、どんな状況であれ、その人の人生の中の日常の延長線として見えるんです。

■ロバート・キャパ写真集
この憧れは、永遠です。

■深い河
その夜はお酒を飲み過ぎて記憶がない。
うろ覚えだけど、中華料理屋での食べ逃げ未遂事件まで犯していた。(ちゃんと払いました)

全ての原因は、友達に会う前に山手線で読んでしまった、
戦争の回想シーンでしょう。
ひょっこりグロいシーンが出てきます。

そんな私でも許して包み込んで清めてくれるのかな、ガンジス川。
私の脳裏にあるバラナシ映像の中には、いつも担架を運ぶ大津がいます。

読後は宗教的なことを浅はかながら考えたようですが、
すっかり忘れた。浅い浅い。


一旦ここまで。
今週末に、とても悲しい2つの話を聞いて、考えた。
(1つは直接私に関係ないけど)


自分のまわりには選択肢がいっぱいあることを
”覚えておく”ことが大事なようです。

そして、その選択肢の中で、自分は環境に適応して変われるよー!ってことも覚えておく必要があるようです。人間はカメレオンになれる。
(カラス嫌いは変えられないけど)


せっぱつまって追いつめられると、
意外と見えなくなってしまうのかもしれません。

この日本社会、溢れるばかりに選択肢だらけで、
生まれた時からトイレ掃除のシゴトしかできない!って決まってるわけでもなくて、
自由度が高いはずなんだけど、雁字搦めになると見えなくなるのかなぁ。
選択肢どころじゃなくなるのかなぁ。

壁のsalvadorの地図を毎日ちゃんと見て、
他人の旅行ブログ読んで、
たまにイタリアの子と連絡とって、
たまに冒険王になりたい!って話をして。
私の人生の選択肢がこれだけじゃないってこと、今選択してることなんて人生の3%くらいだってこと、潜在意識の中にまでちゃんと刷りこんでおこうと思った。保険的役割。

そんな選択肢もあんな選択肢もいーっぱいあるよ!ってことを、
色んな人の目の前にいつもチラつかせてあげたいなぁとも思いました。どうしたら。
あと1年半~2年弱くらい後、髪の毛が長くなってお金もたまったら
会社をやめる。



手切れ金と奨学金の2年分をリビングに残し、
飛行機にのりこむ。



ぐあてまら(?)でスペイン語をお勉強(2週間~1ヶ月)



メキシコにいく。



飛んでパタゴニア。



あるぜんちん。



ブラジルぐーるぐる。
カーニバル。(2月)



再びウユニ。



アメリカだかどこかで、お勉強。(1年くらい)



半年間、待ってくれる素敵な働き口を見つける。



アフリカを渡る。(with 日本人おっと)←どこでどのタイミングで出会うんだ。



世界を平和に出来る働き口ではたらく。(場所問わず)



お金たまったら、
可愛い格好してヨーロッパでお買いものしまくる。←上記の希望職種と微妙な矛盾感がしゅーる。
可愛くデート。
フランスで一晩中歩きながら語る。




素敵な人生計画!


ここまで描いてるので
今は我慢して、我慢して、
インドにすべきだと思うの。この冬また。
なかなか優柔不断で買えないんだけど。
Facebookのユーザー数、8億人。

エキサイティングな市場です。


と言っていた。


世界の人口、約65億。

Facebookユーザー、8億。

先進国みたいな生活してる人、65億中10%

…あれ、6億5000万人?
fbユーザーより少ないぞ?笑


まぁおいといて。

先進国みたいな生活してないそれ以外の人々、90%

そっちの方が
色んな意味でエキサイティングだよなぁ、

と思った。
私にとっては。


\(^o^)/晴れ


今は、10%の頂点をより有意義な生活にしつつね。

ね。