操作としての無限 ~無限の棲むところ~ | 数学を通して優しさや愛を伝える松岡学のブログ

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「無限」 をイメージではなく、

数学的に正確に扱うにはどうすればいいのでしょうか?


ここでは、無限を正確に扱うための 「操作としての無限」 について、
考えてみたいと思います。


無限には、無限大の記号 ∞ があり、
無限に大きな数のようなイメージがあります。

もちろん、無限に大きな数のように捉えることもできるのですが、
ここでは、「無限に大きな数に近づく」 という操作として無限大を捉えたいと思います。


どういうことかというと、

1,2,3,4,5,・・・

のように数が大きくなっていくことを考えます。

さらに、100、1000,10000,・・・

と限りなく大きくなっていくことを 「無限大に近づく」 といいます。


正確には、n という数(文字)があって、
n が限りなく大きくなることを


n → ∞


と表します。通常は、lim の記号を使います。

 

 

 


これは n を無限大に近づけるという操作を表します。

すなわち、操作としての無限です。

 


たとえば、

n を無限大に近づけるとき、1/n  はどんな数に近づくでしょうか?


n が 1, 10, 100, 1000, ・・・  と大きくなるにつれて
1/n は 1, 0.1, 0.01, 0.001, ・・・  と小さくなります。


限りなく小さくなるわけですから、0に近づきます。


このとき、

 

1/n  の極限は 0 であるといいます。

これを、n→∞ のとき、1/n → 0
または、lim 1/n =0 と書きます。


 

 


このような極限操作としての無限を考えることで、
人は正確に無限を扱う第一歩を踏み出したといえるのです。

 

 

ニュートンによる微積分学の発見以来、

人類は、無限と真摯に向き合わなければならなくなりました。

 

 

人は無限を理解することができるのでしょうか?

 

 

18世紀の数学者オイラーは、

 

無限大より負の数の方が大きいのではないか、

 

と考えていました。

 

 

それは、1/x という分数の関数を考えて、

 

x をプラスの方向から 0 に近づけると、

1/x は無限大に近づくからです。

 

x軸で考えると、x がプラスの方向から 0 に近づくと、

さらに、その先に負の数があります。

 

 

 

 

このように、ニュートンやライプニッツにより

微積分学が構築された後でも、

 

人々は無限の不思議さに直面していました。

 

 

19世紀の数学者ガウスは、無限に否定的でしたし、

リーマンでさえ ∞ の記号を使わずに、1/0 と表記していました。

 

 

フランスのコーシーは、無限を厳密に扱いたいと考え、

微積分学の教科書を執筆しました。

 

その流れをくみ、1860年代のワイエルシュトラスによる講義により、

イプシロン・デルタ論法が完成しました。

 

 

これら、

 

数学者たちの英知の結集の結果、

微積分学で 「無限」 を厳密に扱うことができるようになりました。

 

しかし、

 

これで完全に無限を扱えるようになったわけではありません。

 

 

「無限」 は、微積分学以外にも表れ、

数学者や物理学者たちの前に立ちふさがっているのです。

 

 

人類は、まだ無限の正体をつかみきれていないのです。

 

 

 

 

無限 、 、 、

 

 

それは、人の感覚を超えた不思議な存在。

 

 

「無限」 という不思議な存在に対して、

数学者たちは知性で立ち向かっています。

 

 

これからも、無限の神秘を解明しようとする人類の挑戦は続くのです。

 

 

 

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