ごきげんよう。
今日のブログはね、過去に書いたものを掲載しようと思って。。
ベオグラードには実は、毎年日本語スピーチコンテストが開催されます。
前はうちの学校の生徒しか参加することができなくて、去年、在セルビア日本大使館の日本語授業普及プロジェクトを伴って他の学校も参加できるようになりました
で、私は三回、参加しました 高校2年と3年は参加者として・高校4年はジャッジとしてでした。
今回は高校3年のスピーチを掲げますので、お時間あれば是非、読んで下さいー
セルビアの民謡に潜む力
歌には力がある。
今日ラジオやテレビ、またはネット上で聞ける類の歌ではない。
もっと深く、根源的な民族の魂から湧き出てきた歌だ。文字を知らない村人の炉端で語られてきた童話や神話、そして、そう、民謡。民謡はどの民族においても自然に対するおそれ、生活の喜び、希望などを唄う。なので、その民族だけでなく、世界中の人々が他民族の民謡を楽しめる。
もちろん、あらゆる民族に独自の民謡が存在しているが、今、セルビアの色彩豊かな、伝統的な民謡を紹介していきたいと思う。セルビア文学の一番重みのあるものは、その民謡の形をした叙事詩や抒情詩だと言えるだろう。
今は昔、セルビア人がまだスラブ人として知られていた頃、まだセルビアに集落さえなかった頃、一番古い歌のレイヤーが生まれた。スラブ民族の多神教から出た「神話民謡」である。太陽神、雷鳴神、武神などのような神々が歌う人の中に宿り、数多くの詩を創造した。龍の歌、大自然の歌、月と太陽の結婚の歌、深い森に住み、若い男性の心さえ奪う妖精の歌(時には文字通り)。
残念なことに、キリスト教がビザンチン帝国から入ってきて以来、このような歌の大半が失われていった。残るのは、ただかすかな響きのみ:
雪肌の妖精に
建てられし城
天にあらず地にあらず
その真ん中にありけり
あるいは、そのキリスト教の特性やキャラクターを付与され、存在しつづけた歌もあった。ただし、以前の文化の進んでいない民族の素直さは完全に消えてしまったのだ。神々がキリスト教の聖人へと変身したら、テーマはもはや村遊びではなく、十字架や神の業となる。特に好まれたのは、神様が老若男女を問わず異教徒に天罰を下すという唄。例を上げるにはいかにも恐ろしいと思う。
神話民謡で最も高く評価されているうたといえば、多分ヤマトタケルの惨劇に似た「ミリッチ旗手の結婚」。結婚式の最中、呪いで花嫁が死んでしまい、哀しさに耐えられずミリッチもあの世に去る。
いよいよ中世に入ると、セルビア王国の力がだんだん強大になる。君臨しているのは、ネマニチ王朝。民の詠み手が王朝の戦、智恵、富を讃えて詩にする。殊に目立っている人物は聖人であり翻訳者・作家でもあったサーヴァ・ネマニチ。彼のお陰で、この頃はじめてセルビア教会が独立して、独自の詩や書物が書かれはじめた。
しかし、ネマニチ王朝の詩よりも、国民の間ではもっと人気のある作品が作られた。たとえば、日本では平家物語とその壇ノ浦の戦いがあれば、セルビアではコソボ叙事詩と、そこに中心となるコソボのいくさがある。セルビア王国とそこに侵攻したがるトルコ帝国との戦いだ。
唄のなかでは王ではなくて帝王の名称をつけられたラザル1世がトルコの帝王に勝つことが出来ず、長い戦争の結末はこのように唄われる:
セルビアの勇者、ラザルが死に
そのつわものも何人も死に、その日、
七万七千の魂を天国が迎へたるなり
この叙事詩こそ中世の詩の傑作である。
コソボの戦いを乗り越えたただ一人の戦士は、マルコ王子だと言われている。そのため、セルビア国民にとってマルコ王子は、トルコ帝国への反抗の象徴であった。ただし、英雄といえば、典型的な道徳、慎みや勇ましさを思い浮かべるが、マルコ王子はそれらを持たず、まったく、庶民に近いと言わざるを得ない。お酒が好き、妖精と遊ぶのが好き、争うのが好きで、一番好きな物といえば、やっぱり喧嘩だね。千年も経った今でも、セルビア人と喧嘩したら内なるマルコ王子を起こしかねない。気をつけてくださいね。
セルビア民謡も、日本民謡と共に、世界の歌の中にある。我々を楽しませながら、お手本にもなる。歴史への扉にもなる。なにより、紀貫之曰く、
「力をも要れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも哀れと思はせ、男女の仲をも和らげ、たけき武士の心をも慰むるは、歌なり。」
以上。