陣幕久五郎 | またしちのブログ

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幕末史などつれづれに…

これまで何度か紹介しました、米国議会図書館デジタルアーカイブ収蔵のフェリーチェ・ベアトの写真集「Japanese & Chinese portraits」に、第12代横綱(江戸時代最後の横綱)陣幕久五郎(じんまく きゅうごろう  1829-1903)と思われる写真が2枚収録されています。

 

 

 

 

陣幕久五郎は嘉永三年(1850)に初土俵を踏み、当初は徳島藩のお抱え力士でしたが、元治元年(1864)十月に薩摩藩お抱えとなり、慶応二年(1866)十一月場所で大関に昇進、さらに翌慶応三年(1867)十月には吉田司家から江戸時代最後となる横綱免許を授与されています。そんな横綱陣幕の、薩摩藩お抱えとなった元治元年に描かれた錦絵がこちらです。

 

 

※.「薩州陣幕久五郎」(国綱筆/元治元年/国立国会図書館デジタルコレクション)

 

 

 

そして、化粧まわし姿の写真を拡大したのがこちら。

 

 

 

 

上から「太い線」「細い線」「波線」の三本線をはじめ、下がっている飾りの本数など、デザインが上の錦絵とまったく同じであることがわかります。さらに写真の説明文は

 

 

 

 

Wrestler with apron-prize awarded by Prince of Satsuma と書かれていますが、これを相撲用語を使って和訳すると、「薩摩公から授与された化粧廻しを着けた力士」となり、この力士が陣幕久五郎その人であることは間違いないと思われます。

 

 

実は以前ネット上で、この写真を元にしたチラシのようなものを見つけたのですが、そこにはこの力士が陣幕久五郎であることが明記されていました。なので専門家の間ではすでに認知されていることなのかも知れません。

 

 

そして、もうひとつの写真を拡大したのがこちら。

 

 

 

こちらの説明文には、Japanese Wrestlers in everyday garb と書かれており、「普段着の着物を着た日本の力士」という意味になります。なんで複数形の「Wrestkers」なのかは謎ですが、それはさておき、顔を見れば上の写真と同一人物であることは明らかです。

 

 

しかし、ほっぺたがムダに赤く塗られており、おっかない顔がかえっておちゃめな感じですね(笑)。

 

 

・・・そんなことを言ったら怒られそうですが。

 

 

陣幕が横綱に昇進して間もない慶応三年十二月二十五日、江戸・三田の薩摩藩邸が新徴組をはじめとする幕府側によって焼き討ちにあいました。俗に言う「薩摩藩邸焼き討ち事件」であり、戊辰戦争のきっかけとなった一大事件だったわけですが、薩摩藩のお抱えであった陣幕は死を覚悟して薩摩藩邸に駆けつけたものの、すでに藩邸は焼き落ちてしまっており、陣幕は川崎まで走って大坂にいる西郷隆盛に急を知らせる手紙を送りました。

 

 

戊辰戦争中には京都にあって薩摩藩主島津忠義の警護を担当したりしましたが、維新後は大阪相撲の頭取となるなど相撲の発展に貢献したものの、のちに西郷と仲違いしたのを契機に相撲を廃業、実業家に転身したそうです。

 

 

晩年は東両国の火除け地の一角でせんべいを売っていたと伝わります。明治三十六年(1903)十月二十一日に逝去。享年74歳でした。

 

 

 

・・・・・・最後の数行はウィキペディア頼みでまとめました。ごめんなさい。