松本さんの絵 第2 ◎  我 (戦争で)何を得たりや  | matのブログ

松本さんの絵 第2 ◎  我 (戦争で)何を得たりや 


matのブログ-図  4


図4



 軍曹は兵隊を連れて家にあがってきた。彼らは塩が入った角缶2個、コーヒー豆の麻袋などをを担いできた。母の嫁入り前の振り袖、帯などと交換した。彼らは土足で部屋に入ったが、気がつくと靴を脱いでくれた。それなり神妙だったそうだ。タケノコしか食べるものがなかったが、兵隊を案内して裏庭の竹藪からタケノコを堀に行った。天ぷらにしたら、おいしい、こんな味は始めてで、食べたことがないといって喜んでくれた。悲しい時代だね。真ん中にいる赤ん坊はだれ?戦争で価値観が変わってしまった父は生きていくために自問自答したのが左上の詩。
     
     我 (戦争で)何を得たりや
     我求とめんと願う真実は何処に
     生活環境の転換あるのみ


以上の話を、かいつまんでアメリカのイレーヌに話すと、その返事がきた。

ワシントン州  イレーヌより



Hi Mat!

What a nice story. It's wonderful when we can remember that amidst the bad times, there are still good people.World War II (WWII) was not a good time for either of our countries. I was born in 1952, so I am what we call a "Baby Boomer," which is all the children born right after WWII. I only know what I have learned from history, whereas your parents and mine experienced the war's effects. My parents are now 83 years old. How do you as a person living in Japan feel about WWII? I feel our country was very mad and very scared. We did some horrible things. The worst was the dropping of bombs on your country, but we also put our Japanese citizens into interment (internment? - I can never remember whether it is with or without the "n" in the middle) camps.



マットさん、いい話ですね。終戦のとんでもない時に、すばらしい人達が生き残っていたと思うと、なんともすばらしいです。

第二次世界大戦はどちらの国にも良い時代でなかったですね。わたしの両親は、いま83才、わたしは戦後のベビィーブーマーで、お互いの両親が戦争の無意味さをあじわった故に、わたしは歴史から学んできたと思っている。私たちの国、アメリカはずいぶん残酷なことをしてしまった、しかし大変な狂気と恐怖の中にいたのです。最悪は日本広島に原子爆弾を投下したこと、でも、わたしたちの日系米国人を収容所に押し込んだことなど、痛恨の思いがあります。



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図5


ワシントン州  イレーヌ 様へ  マットより


I drew this picture 2008. In a picture ,Mr.Victor grinds coffee by a pretty mill. My father gazes him doing ,with my mother and a baby beside funny figured person like bird . Mr. Victor grinds coffee beans and spreads bean,s sacks on the table . There are some supplements behind him and wooden toys on a table .In the top light you can see poem. A poem Hiroshi wrote says as .....

People has transfered and left since long ago
Time spend like as light arrow
This place have kept old history since a thousand year
Kamo River run calm and pure
Here is a place called KyoーRaku ,we could meet with forign friends.



ビクター君が我が家にやってきた時の情景を描きました。ビクター君がコーヒーミルを使ってコーヒーを粉にしています。母と父は彼のすることを見つめている。鳥の様な姿の少年のそばに赤ん坊がいる。ビクター君は机にコヒー袋を広げている。後ろには荷物があります。 画面の右上に父は、詩をのこしている

人移り人去りて行星月
千年の歴史を秘めん
加茂は清らかに流れる
はるかなる異国の友と会えり
京洛の地

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


 ビクター軍曹はその後、一人で二度三度我が家に遊びに来た。父は英語が少し話せたから、近所のおばさんは感心していた。パイプ タバコ が好きだった父に、ビクター君は Kentuckey Club のタバコを数缶くれた。ハーシーチョコレートは四角い固まりのままで紙に包んで持ってきた。クリネックス ティシュもくれたよ。 あのころからアメリカ人は使っていたんだね。 ビクター君の名前はなにか変?そう父が名前を聞いたときに軍曹は勝利者だと答えたから。彼の職業を尋ねるとカナダでヤクザな仕事をしていると答えた。






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図 6


 ワシントン州  イレーヌ 様へ  マットより

The colored pastel art was drawen by HIroshi. He drew this in 1928. In

the right of  FIG.5 、 we can see toys of wooden hen and chicken .


このカラーのパステル画は弘が1928年に描きました。図・5の右に木製の鶏の親子のおもちゃを描いてみました。