俳優というお仕事③~みんなと作る、この「瞬間」 | 101回目のプロポーズ

101回目のプロポーズ

夢に向かう私の道のり

おはようございます、なこです。

私が通っていた小学校では、
「学芸会」と「展覧会」が1年おきにありました。

私は、1・3・5年の時が学芸会で、
2・4・6年の時が展覧会でした。

小さい頃から、お芝居と空想が大好きだった私は、
学芸会というイベントに驚喜しました。

「お芝居ができる!」

そう考え、胸を躍らせました。

生まれて初めての学芸会、

そこでの私の役は、「てぶくろ」でした。




そう、あの、「手袋」です。


「手袋」という役がどんなメッセージ性を持っていたのか
まったく分かりませんが、

とにかく私は「てぶくろ」役をやりました。


当然ながら、せりふはありません。


主役じゃなくてもセリフがある役はいくつもあったのですが、
私はせりふなしの「てぶくろ」役でした。


ただ、てぶくろ型の着ぐるみを着て、
舞台に寝ていました。

そして、動物役の友達が、

「あ!てぶくろだ!」

というのをひたすら待ちました。


そして、そのせりふのあとも特に何も変化なく
ただ舞台に寝ていました。


しかも、私の役は、ただの「てぶくろ」ではなく、
落し物の「てぶくろ」、しかも片っぽだけ、の、
その「片っぽ」だったのです。

動物役の友達が行ってしまい、照明が消えると、
暗闇の中、私はモソモソ動いて舞台からはけました。


これ以上ないほど無価値な役に思えました。


子ども心に私は、生まれてはじめて

「むなしい」

という感覚を味わいました。


今にして思えば、
アイデンティティの危機に直面しました。


それでも、どうしてもお芝居をしたかった私は

舞台で寝ながら、ぴょこぴょこおしりを動かしました。

その途端、先生から怒られました。

仕方なく私は、
てぶくろ型のまま、じっと舞台でふせっていました。

どうしようもなく悲しくなりました。



それから、2年後、
3年生の時に、また学芸会がありました。

私は、

「今度こそ!」と胸をおどらせ

お芝居をするのを夢見ました。


ついた役は、「麦」




麦畑にあるたくさんの麦の中のその1本、
それが私の役でした。

いわゆる、「その他大勢」というやつです。

当然セリフはありません。


みんなで「わー、風が吹いた」「こわーい!」

とかいうセリフはありましたが、

あくまでみんなで同じ言葉をしゃべっているだけで、

私個人のアイデンティティは全くありませんでした。


「こわーい!」・・・・。


ケント紙で作った麦の帽子をかぶり、黄緑の服を着て、
私は他の「麦友達」とともに舞台上のひな壇の上に立ちました。

麦畑を通りかかる、せりふのある友人たち。

それがうらやましくてうらやましくて、
私はまたしてもアイデンティティの危機に陥りました。

「お芝居したい!」

その気持ちに突き動かされ、
私はその他大勢のくせに、一人、演技をしました。


麦畑を通りかかる動物役や村人役の友人を見て
大げさに笑ったり驚いたり。

また先生から怒られました。


――そして、ついに5年生。

小学校最後の「学芸会」。

私は、三度目の正直の「今度こそ!」という
熱い想いを燃やしました。


作品は、ある魔女たちの物語。

台本を配られた私は、
自分がやりたい役を夢中で探しました。

そうして、ひとつの役に心を奪われました。




それは、魔女たちを束ねるボス魔女の役。






一目でその役のトリコになりました。


「絶対これやりたい!」

自分がその役をやると考えただけで、
胸がドキドキしました。

それまでの学芸会ではすべて先生が役を決めていたのですが、
その最後の学芸会では、
はじめて「オーディション」というものが行われることになりました。

各自やりたい役のせりふを覚え、
一番自信のある場面を先生の前で披露するというものでした。

私はオーディションの日まで無我夢中で練習しました。

何としてもこの役をつかむために、

何としてもこの役を舞台で演じるために。


なにより、
悲願だった「やりたい役」を、この手につかむために。

迎えたオーディション当日。

その役はなかなかの人気で、
私を含め、男女合わせて6人いました。

でも、私はその役を勝ち取るのは
自分だと信じていました。

それほど必死に練習を重ねてきたという自負がありました。


学年の先生3人の前で私はすべての力を出し切り、演じぬきました。


他の子のを見ることはできなかったけれど、

「ぜったいに私に決まるはず・・・。」

そう思いました。


6人全員が終わり、
次の役のオーディションに移るという段になったとき、
突然一人の先生が言いました。


「なこちゃん、ちょっとこの役やってみて。」


それは、主人公の女の子のおつきの「ばあや」の役。

私の眼中には全くなかった、ただの「ばあや」でした。

私は面食らい、「せりふが全然分かりません。」と言いました。

すると先生は、

「じゃ、台本見ながらでいいから、ちょっとやってみて。」

と言いました。

私は戸惑いとすさまじい嫌な予感にとらわれながら、
言われるがまま、その台本を読みました。


すると先生たちが3人で話し合い、

「うん、
なこちゃん、これでいこう。」


と言ったのです。


は?


その瞬間、

私は、ばあやに決定しました。

台本をもらってからオーディション当日のその日まで、
というより、その瞬間まで一切視界に入っていなかった「ばあや」。

それが私の小学校最後の役になりました。


その日、私は泣きながら帰りました。


まだこの言葉は知らなかったけれど、あえて言うなら、

「これほど不条理なことはない」

という思いでした。


「私はばあや。望んでもいない、ばあや。」


ばあや、というのが何なのかよく分からなかったけれど、
どう考えても魔女のボスでないことは確かでした。


あれほど必死に練習したあの役。

それは、どうしても絶対にやりたかった役だから。

でも、ばあやになった。

私は身もだえするほど苦しみました。

中途半端な、望んでもいないばあやをやるくらいなら
セリフのないてぶくろや麦の方がまだマシだと思いました。


それから本番までの数か月、私はばあやを演じました。


完全なる「おつきの人」でした。

そして、私が一目ぼれし、何としてもやりたかったボス魔女。

それを演じている友達がうらやましくてたまりませんでした。

ばあやは何度やっても最後まで愛着がわかなかったのに、
ボス魔女は何度観ても誰がやっていても、
心惹かれる、あまりに素敵な役でした。

セリフをすべて暗記していた私は、
ボス魔女がしゃべっている時、
いつも心の中でボス魔女のセリフをしゃべりました。


そのおかげで、ばあやのセリフはしょっちゅう飛び、
そのたび先生から叱られました。


一度などは、

「なこちゃん!
 そんなに忘れてばっかりいるんなら、
 もうその役他の人に回すわよ!」

と言われ、

私は心の中で驚喜しました。

「はい、よろこんで!」

と、どこかの居酒屋の店員さんのような気持ちになりました。



が、結局その役を外されることはなく、
私は本番も当然ながら「ばあや」として舞台に立ちました。


そうして、

「お芝居やりたい!私も役がやりたい!」

と思い続けた私は、

結局生涯で、「てぶくろ・麦・ばあや」という不本意な役を3つやって演劇人生を終えました。


どの役を思い返しても、
浮かんでくるのは、つらかった思い出ばかりでした。

こっそり演技して怒られ、
ただ寝転がって、ただ揺れて、
みんなと同じセリフを言い、
みんなと違う動きをしたといって怒られ、
やりたくもない役をやらされ、

「もっとばあやらしく!」

と注意され・・・。


・・・私、ばあやじゃないし・・・。



それでも、私はやっぱりお芝居が大好きでした。

そうして、
お芝居を仕事にしている人―俳優さん―に憧れつづけました。



さて、今回ある俳優さんの演技と存在感に
すさまじい衝撃を受け、「俳優」というお仕事について、

「演技をしてお金をもらっていく」ということについて、
真剣に考えるようになった中で、
私は突然、あの3回の学芸会の記憶を思い出したのです。


そうして、思ったのです。

あの時、「てぶくろ」でも「麦」でも「ばあや」でも
その一つ一つにもっと本気に真剣に向き合って
その役にぶつかっていったら、
何かを得られていたかもしれない。

セリフをしゃべりたい、とか、
みんなと同じじゃつまらない、とか、
この役じゃなくてあの役がやりたい、とか、

そんなことばかりを考えていた私。


20年以上前のその一つ一つの思い出を
今でもこれほどはっきり思い起こせることを考えてみても、
多分本当に悲しくて不本意でショックだったんだろう。

――でも、

思い返す限り一度たりとも
その役の意味、その役の必要性、その役の価値を
真剣に考えたことはなかった、

そして、その役をもらったことを感謝して
一生懸命夢中でその役に心を注ぐこともなかった。



そんな私だから、
やりたい役をやるチャンスもついに巡ってこなかったんだろう。


結局いつも不満と不足感とエゴばっかりだったから。


これじゃなくてあれがほしい。

こんなのヤダ。

もっと目立ちたい!

私がやりたいのに!

何でこれなの!?


そればっかりだったから・・・。


もし、「演劇の神さま」というものがいらっしゃるのなら、
そんな役者にはチャンスをあげたくないだろうな・・・。

だって、
演劇ってみんなで作るものだから。

みんなでやっている役なのに、
一人違うことをしたり、

動かない役なのに、
目立ちたくて勝手に動いてみたり、

もらった役を嫌って
他の役のセリフを必死に追い求めて
自分のセリフをおろそかにしたり・・・。


私は結局自分のことしか考えてなかった。

この作品をみんなで作る意味、

どんな役でも、そこに存在する限り
必ず意味と価値があるということ、

自分の与えられたもの、その瞬間、その場所に
命を注ぐということ、


そのすべての意識が私には欠如していた。


いつも私ってズレてる・・・

そんなことばっかり考えて落ち込んだり悩んだりしてたけど、
本当は、いつも自分のことしか考えてなかった。


私が一番大変、

私が一番つらい、

私が一番頑張ってる、

私が一番悩んでる、



ほんとにすべてそればっかりだった。

いつも自分が一番って思ってた。

いつも「主役」でいたかった。


でも、人生って、
いろんな場面があって、
思い通りにならないことの方がきっとたくさんある。

誰もが望む役につけるわけじゃないし、
いつでも望む結末ばかりを経験できるわけじゃない、

その時々、悲劇も喜劇もある。

喜びも悲しみもせつなさも怒りもある。


だけど、どの場面もどの経験も、
ひとつの「作品」としてみれば、

どの人もどの出来事もどの感情も、
必ずそれがそこにある、
そこで起きている
「意味」と「価値」がある。



そう、どの人にも、どの役にも、
必ずそれが
そこになくてはならない、
「意味」と「価値」がある。



「セリフが言いたい!」

「何で私、みんなと同じなの?
 私も特別な役がほしい!」

「こんな役やだ!
 何で私にこんなのやらせるの?」


小学生の時に思ったこと。

これがきっと、
大人になった私が、今苦しみ続けている、

「受け止められない」「ちゃんと感じられていない」「ずれていく」

「習得できない」「成長できない」
ことの大きな原因の一つなのかもしれない。


私がいつも自分のことしか考えていなかったから・・・。

人と生きているということ――、

みんなと一緒にこの場所、この空間、この瞬間をつくっている、

そういう意識が欠けていたから・・・。


人生は、やっぱり「演劇」と同じ。


その言葉、その役、その瞬間、その場所から

一瞬も目を離さず、そこに全精力をこめ、
真剣に心を注ぎ続け、

かけがえのない瞬間をつくり続けていくということ
なんだと、

そう気づいたのです。


だけど。

今からでも、きっと変わっていける。

変わる、と、そう決めたから。


そして、

必ず夢をつかむと誓っているから。
だって、
この夢をやっぱりどうしても、愛しているから。


いつでも、
この人生という大きな作品の大切な一幕、
欠かすことのできない一つの役を生きている
ということ、

誰といる時も、どこにいる時も、何をしている時も、
その「瞬間」という作品を生きているということを忘れずにいたい、

どの瞬間にも手を抜かず、
「私」を生きていたい。

今、そう思うのです。



B’z「イチブトゼンブ」



すべて何かのイチブってことに
僕らは気づかない
愛しい理由を見つけたのなら
もう失わないで
愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに
それだけでいいのに

(B’z「イチブトゼンブ)


読んで下さり、ありがとうございました。

あなたの毎日にたくさんの笑顔がありますように・・・。

なこでした。