「諏訪神社」という社号も全国的に多数あり、その数は約25,000社もあるとのこと。
ですからここでは分かりやすく「濱野諏訪神社」としてご紹介いたします。
境内社に稲荷神社があります。
建御名方神は、『古事記』等に伝わる日本神話の神。
『古事記』では「建御名方神」、他文献では「南方刀美神(みなかたとみのかみ)」・
「御名方富命」・「建御名方富命」等とも表記される。
『日本書紀』に記載はない。
諏訪大社(長野県諏訪市ほか)祭神として知られる。
参照元:タケミナカタ - Wikipedia
千葉市教育委員会の説明板には以下のような記載がありました。
諏訪神社の由来は、杜伝によると室町時代後期の1521(大永元年)年に、
上総国市原郡養老庄の領、村上周防守義清が、
信濃国の上・下諏訪神社を領内に勧請しようと重臣、神官を遣わし、
神璽・神鏡等を奉じての帰途浜村(今の浜野町)に宿泊したとき、
村人がこれを機縁としてこの神を勧請し、祀ったのに始まるという。
祭神は建御名方命で武神、風雷の神とされる。
創建当初の社殿は不明であるが、江戸時代の中期、1700(元禄13年)年奉納の石鳥居があり、
1747(延享4年)年に社殿新造遷宮、1790(寛政2年)年本殿拝殿修造、
1840(天保11年)年本殿拝殿修造など何度も行われたことが記銘から知られる。
かつては境内は松が鬱蒼と茂っていたというが、1883(明治16年)年の落雷で社殿とともに焼失した。
現在の社殿はその後数次にわたり再建されたものである。
1755(宝暦5年)年の「浜野村澪絵図」には、諏訪大明神として描かれており、
当時の様子がうかがい知られます。
村上義清公のことは、戦国史がお好きな方なら既にご存じの名前だと存じます。
戦国時代の武将で、北信濃の戦国大名として知られています。
その村上義清公が上総国市原郡養老庄に「領」をもっていたのは初耳でした。
だから当地に諏訪神社が創建されたのですね!
これで納得です。
どうして村上義清公が登場するのか謎でした。
なので社殿もろとも焼失したとされる1883(明治16年)年から8年後のことになります。
それまでの8年間は鳥居がない状態だったのでしょうか・・・。
駅からゆっくり歩いても10分も歩けば濱野諏訪神社の幟が見えてくると思います。
また濱野諏訪神社周辺には、夜光稲荷神社・八坂神社・如意山本行寺もあり、
歴史的な史跡の多いエリアでもあります。
ですから駅周辺を散策してみるのも楽しいですよ♪
是非ご参拝ください。
〒260-0824 千葉市中央区浜野町445