【神社探訪】濱野諏訪神社(中央区) | 嶽正義 チバを盛り上げる!
◆濱野諏訪神社(中央区)


千葉市中央区浜野町に鎮座している濱野諏訪神社を参拝してきました。
「諏訪神社」という社号も全国的に多数あり、その数は約25,000社もあるとのこと。
ですからここでは分かりやすく「濱野諏訪神社」としてご紹介いたします。


御祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)。
境内社に稲荷神社があります。
建御名方神は、『古事記』等に伝わる日本神話の神。
 『古事記』では「建御名方神」、他文献では「南方刀美神(みなかたとみのかみ)」・
「御名方富命」・「建御名方富命」等とも表記される。
『日本書紀』に記載はない。
諏訪大社長野県諏訪市ほか)祭神として知られる。
参照元:タケミナカタ - Wikipedia


ではどうして諏訪神社が創建されたのか。
千葉市教育委員会の説明板には以下のような記載がありました。
諏訪神社の由来は、杜伝によると室町時代後期の1521(大永元年)年に、
上総国市原郡養老庄の領、村上周防守義清が、
信濃国の上・下諏訪神社を領内に勧請しようと重臣、神官を遣わし、
神璽・神鏡等を奉じての帰途浜村(今の浜野町)に宿泊したとき、
村人がこれを機縁としてこの神を勧請し、祀ったのに始まるという。

祭神は建御名方命で武神、風雷の神とされる。
創建当初の社殿は不明であるが、江戸時代の中期、1700(元禄13年)年奉納の石鳥居があり、
1747(延享4年)年に社殿新造遷宮、1790(寛政2年)年本殿拝殿修造、
1840(天保11年)年本殿拝殿修造など何度も行われたことが記銘から知られる。
かつては境内は松が鬱蒼と茂っていたというが、1883(明治16年)年の落雷で社殿とともに焼失した。
現在の社殿はその後数次にわたり再建されたものである。
1755(宝暦5年)年の「浜野村澪絵図」には、諏訪大明神として描かれており、
当時の様子がうかがい知られます。


ここでポイントになるのが『村上周防守義清公』。
村上義清公のことは、戦国史がお好きな方なら既にご存じの名前だと存じます。
戦国時代の武将で、北信濃の戦国大名として知られています。
その村上義清公が上総国市原郡養老庄に「領」をもっていたのは初耳でした。
だから当地に諏訪神社が創建されたのですね!
これで納得です。
どうして村上義清公が登場するのか謎でした。


ちなみに今の鳥居は1891(明治24年)年に建立されたものだそうです。
なので社殿もろとも焼失したとされる1883(明治16年)年から8年後のことになります。
それまでの8年間は鳥居がない状態だったのでしょうか・・・。


濱野諏訪神社へはJR内房線の浜野駅を利用するのが良さそうです。
駅からゆっくり歩いても10分も歩けば濱野諏訪神社の幟が見えてくると思います。
また濱野諏訪神社周辺には、夜光稲荷神社・八坂神社・如意山本行寺もあり、
歴史的な史跡の多いエリアでもあります。
ですから駅周辺を散策してみるのも楽しいですよ♪
是非ご参拝ください。


〒260-0824 千葉市中央区浜野町445