以前買った山本文緒さんの本。

彼女の病状が進むにつれ、読んでる私がツラくなり一時手を止めてしまったが、夫の命日が近くなりまた手に取ることにした。


体調がいよいよ悪くなり、書く頻度も毎日から日付が飛ぶようになり、文字数も減った。

それでも彼女にとって書くことは生きる力だったのだろう。



病気がわかり、夫とふたり、無人島に流されたようだ…という一文に以前はすごく共感した私だった。

しかしこのあと山本さんは、ご自身の命が終わったあと、「夫は本土に戻り私はこのまま無人島に残り続ける。」と表現していた。



取り残されたのは私の方だとずっと思っていた。

夫が私を置いてどこかにいってしまったのだと思っていた。

病気になったからこその孤独感。

夫からしたら山本さんの表現が正解なのかもしれない。



昨日は子どもたちとお参りに行ってきた。

反抗期…であるはずなのに、一言も不満も言わずついてきてくれる。

父親のいない子どもたちを可哀想だとは思われたくない。


小学校、中学校でそれぞれ最高学年になった彼女たち。

娘は勉強キライ!とか言いつつも学年上位になれるよう頑張っているし、息子は委員会の委員長になったらしい。

それぞれの場所で頑張っている。

そもそも見た目ですら、娘には身長を抜かされ、息子にもあと10センチに迫られてきた。

日々成長する人たちからは可哀想な要素を見つけるほうが難しい。



でも小学生のうちに父親を亡くした彼女たちのことを不憫だと、私自身が思っている。


本当に。

生きていて欲しかった。

病気になんてならないで欲しかった。

3年経ってもそう思う。