Isis読書会: Ordering the disciplines | Masahito-Hiraiのブログ

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 Isis読書会のレジュメを作りました。

 Ana M. Alfonso-Goldfarb, Silvia Waisse and Márcia H. M. Ferraz, “From Shelves to Cyberspace : Organization of Knowledge and the Complex Identity of History of Science,” Isis, 104(3), 2013, pp. 551-560.

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 本稿の著者であるAlfonso-Goldfarbらによれば、科学史とは、一つひとつの専門分野〔ディシプリン〕の枠組みを超えた研究が求められる研究領域、すなわち学際的な研究領域である。それゆえ、知識を既存の専門分野〔ディシプリン〕の枠組みに基づいて組織する従来までの方法は科学史の分野には適していないと述べた上で、本稿は新しいファセット・モデルに基づいたデータベースを科学史にも導入することを提案している。
 はじめに、著者は、知識を組織する方法は歴史的文脈に応じて変化しうるばかりか、そのあり方が我々の物の考え方の枠組みを形作るものだという見解を認めた上で、具体的にその方法がどのような変化を被ってきたのかを歴史的に概観し、ディシプリン・ベースの知識体系が形成された過程を辿っている。著者によれば、いかにして知識を組織するかにかんして、おもだった二つの潮流があるという。
 一つは中世の大学で導入されていた自由七科〔リベラル・アーツ〕に起源を持つ流れである。自由七科はencyclopaediaとも呼ばれたが、その語源はクィンティリアヌス(35年-100年頃)や大プリニウス(22年-79年頃)の著作に現れるenkyklios paideiaにあるという。この言葉は、元来は「円環的な(enkyklios)教育(paideia)」を意味したのであるが、一五世紀の写本家のなかの一人が誤ってenkyklopaideiaと書き写したことが端緒となって、後に「百科事典」を意味するencyclopaediaという語が生まれた。
 もう一つは、プラトンとアリストテレスに始まる存在論を元にした知識論の流れである。プラトンは、知識を事物の形相を意味するeidosと、形相の単なる模像を意味するeikonesとに分類し、それに対してアリストテレスは諸々の事物がこの世に存在する目的を意味するtélosという概念を導入した。これら三つの概念を元にして、新プラトン主義者の一人であるテュロスのポルピュリオス(234年-305年頃)は知識を樹木に喩えるイメージを導入することになり、後のデカルトによって継承されることになる。
 一三世紀になると、これら二つの知識観は一つに総合され、古典的な百科全書主義から近代の百科全書主義までの知識観の流れを形成することになる。例えば、ラモン・リュイ(1232年-1315年頃)やヨハン・H・アルステッド(1588年-1638年)を経由し、近代になるとルネ・デカルトとフランシス・ベーコン、フランスで『百科全書』を制作した啓蒙のフィロゾフであるドゥニ・ディドロとジャン・ダランベール、そして実証主義の創始者といわれるオーギュスト・コントに至る。
 このように知識観が歴史的に変遷しつつも、それらには「知識は一にして不可分である」という前提があったようである。一八世紀になると、知識を誰もが利用可能にすべきだという要請の声が高まり、いかにして知識を組織化するかという新たな問題が生じた。この問題は、一九世紀から二〇世紀にかけて、「いかにして無形な知識を有形な本という形で、同じく有形な本棚に配置すべきか」という問いに形を変えて論じられることになる。以下では、著者は図書館学の歴史的変遷を辿り、ディシプリン・ベースの知識体系が構築される様相を示している。
 まず、アメリカの図書館学者であるメルヴィル・デューイ(1851年-1931年)は、1876年に「デューイ十進分類法」(Dewey Decimal Classification : DDC)を提案した。具体的には、まず大分類としての主題を設定した後、内容に応じてさらに細かく分類する。デューイのシステムは、その後ポール・オトレ(1868年-1944年)やアンリ・ラ・フォンテーヌ(1854年-1943年)によって受け継がれ、科学史の創始者であるジョージ・サートン(1884年-1956年)もそこから影響を受けている。サートンは、専門分野〔ディシプリン〕による分類、時間(時代)による分類、空間(場所)による分類を組み合わせ、三つのシステムを構築、提案した。
 しかし、以上に考察した方法はいずれも専門分野による分類を基調としている。しかし、ジョルジュ・カンギレムやイムレ・ラカトシュが指摘するように、科学史の研究対象は科学の専門分野ごとに分ければ良いという性質のものではない。それどころか、科学史はその本質からして、既存の専門領域の枠組みを超えて研究する必要がある、学際的な研究領域である。この事実をふまえた上で、著者は近年の「デジタル革命」による知識観の変化を強調しつつ、科学史のための新たなデータベースの構築を提案する。以下では、「デジタル革命」を担った研究者とその影響を概観する。
 まず、1920年代になって、ディシプリン・ベースの知識のあり方に疑問を呈したのが、インドの数学者ランガナタン(1892年-1972年)である。ランガナタンは、従来までの知識を樹木のように喩える知識観を転換し、知識を「メカノ」〔金属製の組み立て玩具〕のようにとらえるべきだと主張した上で、知識のファセット・モデルを提案する。すなわち、デューイ十進分類法のように、まず知識を大分類である主題に当てはめるのではなく、知識が様々なファセット(分析された情報)が総合されて成り立つ複合体と見なす方法である。
 本稿の著者は、ファセット・モデルのデータベースが唯一のではないにせよ、学際的な主題を扱うのに適したものの一つであることを認め、そこから、科学史にこのモデルを導入することを提案する。また、このモデルは知識がひたすら蓄積されていくとする知識観とは違って、研究者が関与的であると判断した情報群を創造的に結合することを可能にする、ユーザー本位のモデルでもあり、まさに情報化社会を生きる我々により適したデータベース・モデルだと述べている。その上で、著者はファセット・モデルを基調としたデータベースの構築を目指し、パイロットリサーチを行っている(http://www.dhst-whso.org/)。知識をいかに集約するかがその時代を生きる人々の物の考え方をある程度規定するのであれば、現代を生きる我々にふさわしい知識集約の形を追求することは重要な課題の一つである。