「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」『世間の学』VOL.2 | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」『世間の学』VOL.2

PTAをテーマとした論文、「日本型PTAに認められる問題点 ―ないがしろにされる『主体性』―」が日本世間学会の学会誌『世間の学』VOL.2に掲載されました。

以下のAmazonのサイトで、書影と目次(収録論文のタイトル)を見ることができます。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905160022/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392

ちなみに、『世間の学』VOL.1については、こちら。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/toc/4905160014/ref=dp_toc?ie=UTF8&n=465392


主張の大筋は拙ブログでこれまで取り上げてきたことと変わらず、目新しい論点があるわけではありませんが、日本型のPTAのどういうところに問題があるのか。その現象面と背景をまとめてみました。


目次は以下の通りです。

*****
0.はじめに
0.1 中学校の保護者時代におけるPTA問題との遭遇
0.2 PTA問題解決に向けての個人的な歩み

1.日本型PTAにおける問題点
1.1 「承認」されている自動的・強制的入会
1.1.1 日Pのスタンス
1.1.2 「単P」のスタンス
1.1.3 教委のスタンス

1.2役職の強要

1.3役職の負担

2.改革への動きとその停滞
2.1 改革への機運と正常化への動き

2.2 改革の足踏み

3.現時点において懸念されること
3.1「タテマエとしての任意加入体制」の推進

3.2非協力的な親との烙印

4.ないがしろにされる主体性
4.1 教育行政側の問題

4.2 保護者の側の問題

4.3 問題の背景

おわりに
― 「個人と社会」への萌芽
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(注)の最後のところに、

***
この国における「主体性」の扱われ方を考える時、日本語に認められる「主体性」の希薄さを無視することはできない。これについては、鈴木孝夫氏、木村敏氏、池上嘉彦氏等の指摘がある。この問題については、稿を改めて論じる予定である。
***

と述べました。

来年度の『世間の学』では、ぜひこの問題を論じてみたいと思っています。

日本人にとって、「主体」とはどういう存在なのか。
PTA問題とは、けっして例外的かつ表層的な底の浅い問題ではなく、我々の「存在のあり方」と深く関わる問題だと思うのです。