中間集団全体主義へのレジスタンス | まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ -

中間集団全体主義へのレジスタンス

新しいテーマ、「メモ帳」を設定しました。
「おっ!」と思った発言をランダムに記録しておきます。
(最近、頭の中の「消しゴム」が超高性能になってきたので(涙)。)

カワバタさんのツイッタ―より。
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@tricken 最近、こういう前提のもとに(http://bit.ly/9OttFi)、こういうことを言うております。http://bit.ly/cUzLkV どう思われます?

文科から、PTAとの共依存をやめる方向アナウンスを教育委員会・校長などにしてもらいつつ、個々のPTAが変わっていくためのプログラムのつもり。(http://twitter.com/Rsider)4.10
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文科省からの働きかけと現場発の動きとによるはさみうちによって、「個」を苦しめる「化け物(中間集団)」を成仏させようという戦略と私は理解した。なるほど。


横浜でのPTAシンポの様子を記事にしてくれた朝日の記者(阿久沢さん)のツイッタ―より。
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PTAの幹部のインタビューで、やたら「普通は」と言う言葉が出て来たのが、印象的だった。私たち普通の親は、普通の子どもは、普通の大人の普通の責任、普通のセックス、普通の雑誌。「普通」という言葉の暴力性についてしみじみ考えてみる。

以前、姑に部落民か、と疑われてショックを受けたという女性に、「その反応で合ってる?」と、きいたら、「あたしは普通の主婦だから、差別とか人権とか、わかりません」といわれた。普通の主婦って何?

PTAに関していえば、普通の母親が、無垢な子どもを守るために、無償で奉仕する、という善意の3段重ねが、誰にも反対意見を言わせないファッショ構造を規定している。善意ほど怖いものはない。
(http://twitter.com/oomugikomugi)4.8
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「化け物(中間集団)」を成り立たせている「ふつう」という感覚の恐ろしさに対する指摘。


注:「中間集団全体主義」。いじめ学者の内藤朝雄氏がいじめの背景にあるものとして指摘している問題性。