関東三十六不動霊場の第十九番は最勝寺です。正式には牛宝山明王院最勝寺といい、通称を「目黄不動尊」といいます。宗派は天台宗で所在地は東京都江戸川区平井一丁目の二十五の三十二です。
本尊の「目黄不動尊」は奈良の東大寺の初代別当の良弁僧正が刻んだもので、大山不動(関東三十六不動霊場第一番)と同じ木で造られたものだというわれています。
天平年間(西暦七二九年から七六六年)に良弁が東国巡錫の為に武蔵国を訪れた時、隅田川の畔で休んだ。その時の夢に不動明王が現れ、「わが姿を三体刻み、そのうちの一つを此処に安置せよ」と述べられた。そこで三体刻んで、一体を安置する堂宇を建てた。それが始まりで、別の二体のうちの一体が大山不動なのだということですが、ガイドブックの大山不動についての解説のところでは違うことが書いてあり、目黄不動尊や隅田川については全く触れられていませんでした。まあ、伝説とはそういうものでしょう。
この目黄不動尊は後に、最勝寺の末寺の東栄寺の本尊となったが、さらに時代が下って東栄寺が廃寺となり、その為に最勝寺に遷ったのだという。
目黄不動尊は目黒不動尊などと同様、江戸時代に徳川将軍家に深く信仰され、特に三代将軍家光に篤く信仰され、「江戸五色不動」の一つとされた。これは江戸城と江戸に入る街道の守護のためのもので、この時に「目黄不動」と名付けられたという。
(2013年8月11日の「石川鏡介のブログ」より転載)
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