守るために

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攻撃をする、それは何かを守るため。

 

攻撃は最大の防御と言われている。

 

 

戦争という争いでさえも、何かを守るために行なっていることだろう。

 

 

ただ、何を守っているのか、ということを自覚しているかどうかは、一考の余地があるように思う。

 

 

 

 

例えば、わたしは関西人なので、よくいう「阪神ファン」の一人である。

 

「阪神ファン」は、過激 と言われたりする。

 

例えば、阪神タイガースの悪口を言われると、「何ぃ」といって喧嘩になったり…(しないけどね(笑))。

 

この場合、この某阪神ファンは、なぜ怒っているのだろうか?

 

そのことを自覚しているだろうか?

 

 

阪神ファンは、阪神を否定されることで、阪神の価値が落ちると思っている。

 

阪神ファンにとって、阪神は、「自分の愛するもの」。

 

「自分の愛するもの」を否定されることで、自分が否定されたように感じる。

 

自分が否定された時、自分を守るために、攻撃する。

 

 

いうまでもなく、「阪神」は「自分」ではない。

 

 

同じような構図で、「思想」「イデオロギー」などなど、ただの考え方と「自分」を混同して、考え方に反対するものを、攻撃していることも多々ある。

 

それは、「自分」だろうか、それとも、自分でないものに自分を投影しているだけなのだろうか。

 

 

  

本当に大切だと思うものを「守る」ことは、何の問題もない。

 

何を守ろうとしているのかということを、自覚しているのか、無意識なのか、そこに「問い」があるだろうか。

 

誰かに、批判されることで、それは本当に価値を減ずるだろうか。

守る(攻撃する)必要があるのだろうか

 

 

 

 

ただ、何かを「守る」だけだったものが、いつしかイデオロギー化して、初志が、見えなくなっていることも多いように思う。

 

もともとから離れてしまっていることで、争うために争うというように「争い」だけが残ってしまうのは、悲しいことのように思う。

 

 

稲田 宏(まるた博士)

 

 

攻撃されることを恐れ、逆に、攻撃的になってしまったり…
 

さてさて、私たちは、一体何をやっているんでしょう。