すべては正しい。


それぞれの人が考えて、

それぞれの選択をしているならそれで良いと思う。


怖さ

恐れ

願望


どちらも根っこは同じなんだと思う。



何かを主張するのも

それによって守りたい人がいるという愛情から来ていたり、


はたまた潔癖からの許せなさや


どう見てもこうだろうといった今まで養ってきた自分なりのモノの見方があるのだと思う。



それはそれですべて仕方のないことだと思う。



ただ、


いつからこの世界は


対話というものがなくなってしまったのだろう。



その寂しさがどうしてもつきまとう。




カウンセリングの現場でも目の当たりにするが、


その人から出た言葉でなければ


いくら周りが何をどれだけ言ったとしても

変わることはないし、こちらにできることはない。



結局どうするのかを決めるのは本人なのだ。


究極できることは何もないのだ。



だからこそ

とことんその人の力を信じることしかできない。



その人が考えに考えて決められるようにする。


とにかくそれを選択して幸せであることを祈る。


その人が楽になれるように、幸せになれるように祈る。



コロナ禍においても

そういう風に相手を祈るということが大事なんだろうと思う。


そこから対話が生まれるといいな。


そして、自分の力で考えて判断してほしい。


未来の子供たちのために。