出雲国造の本貫地意宇に坐す熊野大社~初夏出雲行(24)←(承前)
県道53号線を少し南へ進み、要害山を右手に山合へと入って行きます。
まだ朝陽の当たらない山々の森が、濃い新緑に静まっています。
八雲山(須賀山)の看板。
登山道入り口の目印です。
今回は頂上まで行ける時間の余裕がありませんので、須賀神社奥宮までの山行となります。
谷間に拓かれた水田。
まだ朝陽が届いていません。
空には八雲が躍っています。
登山口の右手に、水が流れ出していました。
有り難がって手水に使わせて頂きましたけれど、すぐ後で分かったのですが、この草むらの上にも水田がありましたから、この水は手水に使われない方がよろしいようです(苦笑)
絹のような雲が、朝陽に照らされていました。
看板に見入る2人。
サチエは寒いとのことで、膝掛けに身を包んでいます。
八雲山登山口。
「須佐之男命御岩座夫婦岩まで約四〇〇M」とあります。
杖にする竹もご用意頂けていますから、ありがたいことです。
Mさんを先頭に、登り始めました。
膝掛けにくるまれたサチエの姿が、どうにも異様です(笑)
程なくして「みそぎ場」があり、「神泉坂根水」が湧出しています。
これは不老長寿と銘打たれ、「この水で身を清め、元気を頂いて御参拝下さい」とあります。
「神泉坂根水」アップ。
水の湧き出し口が塩ビの水道管なのにはチョット残念な気持ちもありましたけれど、衛生上のメンテナンスを考えると、これはこれで質実剛健なのかとも思えます。
何か山姥のような様子のサチエ。
熊野大社で参拝している時から冷え込んでいましたから、まあ、仕方なかったんですけれど。
もし、誰か他の登山者などに出会ったら、さぞやギョッとされるのではと思っていましたが、幸い何方にもお会いしませんでした。
緑の中を進みます。
階段も整備されており、とても歩きやすい登山道です。
そのせいなのか、どうなのか、サチエが次第に杜と一体化していくようでした。
杉の林立する地面には、シダが群生しています。
木々の合間から、次第に空の明るくなって行く様子が伺えます。
杜の中へ潜むように佇む鳥居が見えて来ました。
素朴な鳥居の先には、丸太の階段が急勾配に築かれており、夫婦岩の近いことが感じられます。
この参道脇には歌碑が点々と設置され、ここが「和歌発祥の地」である由縁を示しています。
そして夫婦岩。
しかし、これは夫婦といいながら、磐座は大きさ違いで大中小の3種あり、大は父神、中は母神、小は子神かと思われますので、親子岩もしくは家族岩という感じです。
須我神社奥宮。
祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)
奇稲田比売命(くしいなたひめのみこと)
清之湯山主三名狭漏彦八島野命(すがのゆやまぬしみなさろひこやしまのみこと)
この長い名前の御子神である清之湯山主三名狭漏彦八島野命とは、別名が八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)であり、
「『古事記』では大国主神の祖で、この神の五代孫が大国主神とあるが、 『先代旧事本紀』では、八島士奴美神のまたの名を大国主神、大己貴命とある」
玄松子の記憶/祭神記/八島士奴美神
とのことです。
うんなん旅ネット/夫婦岩 須我神社の奥宮
夫婦岩、アップ。
この最も大きい磐座には御幣が3つ、他の中と小の磐座には1つずつ立てられています。
夫婦岩とサチエ。
妙なほどに、馴染んでいます。
右下の最も小さな磐座の前に、納札箱と書かれた木箱があります。
私たちはこの時それが何のためあるのか知らないまま、後に須我神社で分かったことですが、「二宮詣で」という習わしがあるそうです。
「須我神社では古来より本社と奥宮への二宮詣での習わしがあり、神社社務所で祈願札をお受けになって、奥宮の納札箱へ納めると、祈願札は一日、十五日に御祈願される」
うんなん旅ネット/須我神社
ということですから、先に奥宮を参拝してしまった私たちには「二宮詣で」が出来ませんでしたので、残念なことでした(苦笑)
参拝を終えて山を下ります。
登山口まで、深い緑のトンネルが続いています。
鳥居の向こうで山姥になりきったサチエが、こちらを振り向きました。
次の機会には、ぜひこの八雲山山頂まで登ってみたいと思います。
中国地方の登山紀行 法師崎のやまある記/八雲山(やくもやま)島根県松江市
登山口まで戻ると、麓の里宮である須我神社へと向かいました。
(つづく)→ 日本初之宮の須賀神社に八雲が立つ~初夏出雲行(26)
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