先日の熊野滞在の期間中、友人と一緒に奈良県の釈迦ヶ岳に登りました。
釈迦ヶ岳は、標高1,800mで、十津川方面から登るとイージーらしいのですが、今回は友人の提案で上りがきつい前鬼(ぜんき)方面から登ることにしました。
地図に書いてあった標準タイムは、上り4時間半、下り3時間半ぐらいだったでしょうか。
林道の途中、車止めのある場所に車を停めて、そこからアスファルトの道を歩いていきます。
アスファルトの道は、なかなかの距離がありました(帰りは、このひたすら長いアスファルト道にうんざりしました)。
「前鬼(ぜんき)」とは、面白い名前です。
「鬼」がつく名前でメジャーなものは「鬼塚」ですが、「鬼」の字が後にくるものとしては、「九鬼」があります。
かの有名神社には「九鬼」という名の宮司がいますが、「九鬼」で一番有名なのは「九鬼周造」でしょう。
昔、予備校の名物先生(英語の先生だった)に、「九鬼周造の『いきの構造』を読め」と薦められて、岩波文庫で読んだ覚えがあります。
いま調べてみてわかったことですが、九鬼周造のお母さんは、あの岡倉天心と恋に落ちてしまい、周造の父と離縁することになったそうです。
大美術家の岡倉天心のパトロンが周造の父でした。
後々、岡倉天心は、九鬼周造の精神上の父という存在だったようです。
なるほど、『茶の本』(岡倉天心)と『いきの構造』(九鬼周造)の繋がりが見えて、納得です。
ずいぶん話が脱線しましたが、前鬼とは、やはり役小角が従えていたという「前鬼」「後鬼」と関係があるようです。
歩き続けると、宿坊が見えてきました。
この宿坊を通り抜けて、山道に入ります。
どんな山でも、登り始めはきついもの。
身体が慣れるまでの、このいきなりの登りは、なかなか応えます。
倒木ですら美しく佇む、自然の匠の技。
誰でしょう、こんなに大規模な石立てをしたのは。
石立てを嗜む自分としては、この石の立ち方を見ると血が騒ぎます。
これは、熊が木の皮を剥いだものらしいです。
おいしい樹液を吸うためなので、熊の気持ちはよく分かりますが、こうなると、木は枯れてしまうそうです。
霧が立ち込めてきました。
霧が出ると幻想的になります。
いえ、もしくは幻想的だから霧が出るのでしょうか。
後続の為に先人たちが作った道のおかげで、ずいぶんと歩きやすくなっています。
熊野の山という山を知り尽くしている友人は、さすがに健脚です。
これだけガッチリした体格の人で、これだけ山を早く歩ける人を見たことがありません。
休憩も少なめ、歩くペースも速め、おかげで標準タイムよりだいぶん早く進むことができました。
このまま歩き続ければ、天上界にでも行けるのではないかと思えてきます。
仙人が出てきそうな雰囲気です。
この辺り一帯は、大峯の奥駆けの一部になります。
大峯の奥駆けも一度は通しでやってみたいですが、はたして今生での機会はあるのでしょうか。
笹が生い茂り、目の前の道がかろうじて見えるか見えないかという塩梅が、遊び心に溢れていて、歩く人を楽しませてくれます。
まだまだ上りは続きます。
目指すは「釈迦ヶ岳」。
また巨石が出てきました。
立ち止まって静かに眺め、太古の時間に向かって耳を済ませると、ここが重要な場所だったということだけは、ハッキリとわかります。
その後も神秘的な景色は続きます。
心身に良い霧が充満した、天上の「喫煙室」です。
再び、巨石です。
この立ち具合。
板状の岩がこのような角度で並んで立っているのは、日本中でよく見られます。
小屋が見えてきました。
この辺りで、少し休憩しました。
小屋の横に逸れた道を少し行くと・・・。
美味しい水の恵みが頂ける場所がありました。
天使の給水所。
水分補給をしてから、再び歩き出すと、友人がクワガタを見つけました。
こんな標高の高いところで珍しいです。
野生のクワガタを見たのも実に久しぶりです。
この辺りは仙人の集合場所か、修行場所でしょうか。
天狗さんとかが舞っていそうです。
昼前には、無事に釈迦ヶ岳に着きました。
頂上はハエが多かったですが、鹿も出てきて、静かながらも賑やかでした。
大日岳は行場です。
こんなおそろしいピークとは知りませんでした。
間違って落ちたら、見えない谷底へまっしぐらのサヨナラコースです。
出ました、私の一番の弱点です。
高所恐怖症の私は、最終的にあきらめました。
もうかなり体力も消耗していたし、途中の鎖場では手袋がツルッと滑ったし、「もし、もしも・・・」と考えると、肝っ玉と金玉をまとめて谷底に先送りしてしまったぐらいのゾクゾク感が体中を巡ってしまいました。
私は自分で決めたことはどうしてもやり遂げたいというところがあって、そういうところで負けず嫌いなのですが、それでもあきらめてしまったことが少しショックでした。
もうひとつ、あきらめた原因のひとつは、前日の晩に、実家から電話があって、「黒猫が家の前で死んでいた」ということを聞いていたからでした。
最後まで登ろうか登るまいか思案していた私に、友人が頂上から「これは勇気ある撤退です」と言ってもらえたので、少し気が楽になりました。
友人は、頂上まで上ったのですが、下るとき、「さすがの私でもこれは少し怖いです。落ちたら終わりですから」と言ったので、余計に怖くなった高所恐怖症のワタクシです。
今回の出来事をを客観的に見るならば、「まだまだ大日さまの元には至っていない」というメッセージでしょう。
このことは、この翌日に偶然神社で知り合った不思議な方からも同じことを言われたので、やはりそうなのだと納得しました。
下山したらクタクタでした。
帰りに、温泉に入りました。
山歩きの後の温泉は、もうサイコーです。
温泉は、やっぱりエライです。
ゆっくり浸かってサウナにも水風呂にも入ると、筋肉の疲れがかなり回復しました。