参拝日 2016年1月3日 日曜日
廻旋橋を渡って、右へ折れたところに智恩寺はあります。
天橋立では、あんなにまばらだった観光客は、こちらではまだ賑わっていました。
ここは、日本三文殊の1つで通称切戸(又は九世戸)の文殊堂として知られている
臨済宗の文殊菩薩の霊場です。
智恵を授かる文殊さんとして知られ、受験や資格試験などの受験生やその御家族が
よくお参りに来られるそうです。
こちらが、智恩寺の山門↓
黄金閣とも呼ばれる市の指定文化財で、楼上に釈迦如来を
中央に両脇士・十六羅漢を安置する丹後地方最大の山門だそうです。
山門をくぐると正面に文殊堂が見えました。↓
そして左側には、多宝塔↓ ・・・夕方で西からの逆光で実際より暗く写ってます
正面からも・・・
この多宝塔は、室町時代の遺構で重要文化財に指定されています。
内部には、来迎柱が立ち、須弥壇には大日如来さまが安置されているそうです。
この多宝塔のそばに大小の狛犬さんが・・・↓
もちろん各々の狛犬さんは対をなしています。
小さい狛犬さんは、やや風化しているようで、そばの大きい狛犬さんが守るように
安置されていました。
多宝塔の向かい側には、力石と名付けられた3つの石がありました。
この力石は、祭りなどでこの石を持ち上げ力自慢を競ったものだそうです。
石の重さは、大130㎏・中100㎏・小70㎏
この奉納された力石を触ると力と知恵が授かると伝わる石だそうです。
そのそばには、2躯の地蔵菩薩立像が安置されています。↓
いずれも右手を握って鍚杖を執る形を示し、左手には宝珠を捧げています。
この境内には、この2躯の他にもう1躯、合計3躯の地蔵菩薩立像があるそうですが
北側に安置されている1躯を確認しておらず・・・
次は、いよいよ文殊堂へと向かいます。↓
こちらもたくさんの参拝者が列をつくっていました。
私たちもその列後方に並びます。
ふと見ると文殊堂の手前にも狛犬さんが・・・↓
この境内には、狛犬さんも3対安置されていたんですね。
この文殊堂は、智恩寺の本堂となります。
本尊として文殊菩薩さまが祀られています。
ちょうどこの正月三が日は秘仏である文殊菩薩さまが御開帳されていましたし
堂内は、お守りなどの授与所も兼ねていたので、大混雑でした。
私たちもなんとか参拝を済ませ、御朱印をいただきます。
御朱印もこの堂内でいただきました。
そして破魔矢と干支昇運招福凧をいただきました。
この混雑では、あまりゆっくりもできないので早々に本堂から出ました。
本堂の向かって左側には、成相寺と同様の鉄湯船がありました。
この鉄湯船は、もとは興法寺というお寺のために鋳造されたものだそうです。
この智恩寺にも、籠神社と同じような扇子みくじがあり、鉄湯船そばの松の木に
たくさん下げられていました。↓
そのそばに祀られている弁財天さま
そして本堂の向かって右側には、鐘楼があります。
まだ歴史は浅く、1881年(明治14年)に建立されたものだそうです。
その鐘楼のそばには、大きなご神木↓
このご神木は、“文樹”と名付けられているそうです。
樹高は約12m、とても立派なタブノキでした。
そこからさらに進むと、天橋立運河沿いに出ます。
ちょうどそのとき天橋立へと渡るための廻旋橋が動いて、船が通過しているのに
気付きました。
次々を船が通過していきます。
数隻の船が通過した後は、いよいよ橋が動き出します。
位置を移動し、見学です。
動画ではないので、面白みに欠けますが・・・
おお~!意外と早く回ってもどるんだぁ~とやや感激。
タイミングが合わないと見れないので、見ることができてよかったです。
そのそばに智恵の輪という石造りの輪がありました。
古来舟航の安全に備えた輪燈籠なのだそうですが、
天橋立の伝説に出てくる龍神を呼び寄せるため、明かりを灯していたとも
伝えられているそうです。
この灯籠の輪を3回くぐれば文殊さまの智恵が授かるという言い伝えもあるそうですが
見た感じ無理っぽいですね。
時刻は、16時40分。
智恩寺をほぼ一回りして山門へと戻りました。
門前に立ち並ぶお土産やさんも明かりを灯しはじめました。
私たちもこの日予約しておいた宿泊先へ向かうことにしました。
この智恩寺から少し離れたところだったので、夕日を見ながら向かいました。
17時過ぎにチェックイン。
ほとんど貸切状態のお風呂に入り、
お腹も空いていたのですぐにお食事にしてもらい、ゆっくりいただきました。
とってもおいしかったです。
この日はいろいろ歩き回ったので、今回も早々に眠っちゃいました。
翌日は、西国三十三ヶ所第二十九番札所松尾寺を目指しつつ、
舞鶴方面へと向かいます。
⑧ 天橋立ビューランド へつづく・・・。