キイイー、と鷹が甲高く鳴いた。

潮の頭上を守るように翔っている。

長い旅だった。一人で鎌倉を出た潮は、義経がいると五徳龍が教えてくれた平泉の地へ向かった。
あと一刻も歩けば、藤原氏の治める平泉の領地へ入ることができるだろう。


静と別れて御所へ戻った潮は、約束どおり政子に一切を話した。
自分の出自・静の双子の姉であること・ヒの族のこと・追われて鎌倉へきたこと・遮那を追うのを決心したこと。
はじめは興味深げに聞いていた政子も、次第に同情の色を浮かべていった。

義経を追うことは罪に問われると知っているので、処断してもかまわない。その場合はヒの力を使ってでも・・・と言った潮に、政子は晴れやかに笑った。

そして今度は政子が潮を驚かせた。
政子はきっぱりと言い放ったのだ。

「御所たち武士が争うはしかたのないこと。けれど女人がそれに習ういわれはない。女人には違う生き方がある。互いに手をとり、争いを止めるも女人の生き方。
古来よりそうやってこの国は保ってきたのだ」と。

そうして政子は、潮が鎌倉からひっそりと去る手はずを整えてくれた。
早朝、涙ぐむ一幡と共に送ってくれ、一握りの砂金を手渡してくれた。
「これは御所(頼朝)からの餞別なのよ」とささやいて。
頼朝の心を思って潮は泣いた。
鎌倉へ来て良かった、と心から思った。鎌倉で初めて人となったのだと。


ふと、政子に聞かれたことを思い出した。
「なぜ今、義経殿を追うときめたの?」
今までにも機会はあったろうに、と聞かれた。

それは・・と潮は五徳龍との語らいで見たものを説明した。
《静の子が最後のヒなら、私は何者なのだ。どうすればいい》
そう尋ねた潮に龍は言った。
『赤子と共に、族の元へ帰るも良し。ならば穏やかな人の生を全うできよう』
《族におわれて出奔した私なのに!?》
『族に昔日の力はない。おまえをおまえ自身から守るための嘘もある。』
《わたし自身から!?》
そのあと、光の本流が全てを見せてくれた。
法眼の真実。潮を守るための嘘。義経と静の出会い。義経の心。頼朝の心。ヒの負ってきたもの。・・・・・そして未来も。族へ戻らなかったなら、潮は・・・
・・・潮の姿はどこにも無かった。

そして潮は自分の運命と、己の求めるものを知ったのだ。
それは同時に義経のものでもあった。





奥州平泉。潮は初めて見る北の地が、これほどにぎわっているとは思っても見なかった。
都の賑わいとは水と油ほども違うが、人々の顔は明るく、京にも鎌倉にもない独特な雰囲気があった。

潮は道行く人に義経の居所を尋ね、藤原氏の館に案内されて一部屋に通された。

その部屋のしつらいは洗練されていて、さらに訪れる者を安心させる暖かさもあった。
このようなところに遮那はかくまわれていると思うと、潮は思わず顔がほころんだ。

暫くして廊に足音が聞こえ、戸が開けられた。
かしこまり、頭を深く下げた潮を見つめている気配がする。
潮は密かに笑みを浮かべ、そっと頭をあげた。

「義経さま。お久しゅうございます。」微笑んだ潮の目に、驚いた顔の義経が写った。

「・・・日男。・・・なぜここに?」

鎌倉から‘潮’という者が尋ねてきたと説明されているであろうに・・・と潮は笑う。
潮にとって義経は遮那であるように、遮那にとっての潮は日男なのだろう。
互いに変わらぬ思いを持つことを感じ、潮の胸は幸福でいっぱいになった。

静のように恋うる関係でなくて良い。ただ側にいられればそれで良いのだと心から思えた。それと同時に、やはり自分はヒなのだと納得していた。

だから、今はあの頃のように・・・

「遮那。私はあなたに会いたくてここまで来た。下働きでも何でもする。だから共にいさせて欲しい」
きっぱりと言った。

義経の困惑が手に取るようにわかり、潮は声をあげて笑った。
こんな風に笑うのは何年ぶりだろう、と思いながら。

それから潮は、高館にある義経の屋敷につれられ、彼の妻子に引き合わされた。
潮は、義経には鎌倉から嫁いだ妻がいることを知っていた。
その妻もまた、義経を追ってここまで来たらしいことも。
郷、と呼ばれた妻女の膝には、3歳ほどの可愛い女の児が座っていた。

その童女は、潮に一幡を思い出させる。兄弟仲がこのようでなければ、今頃は鎌倉で共に従姉妹として育っていたはずだ。

潮は、義経の妻女の話し相手として館に滞在することになった。

郷御前は初め、潮に警戒心を抱いていた。
義経を慕って鎌倉から来た娘がいる。そう聞けば、警戒するのは妻として当たり前だろうと潮は思う。
だから、心を込めて郷にも、その児にも相対した。

そうするうちに、郷御前の潮に対するわだかまりは解け、いつしか共に心強い同志のような関係になった。
多分に、平泉の平和がいつ崩されるかわからない不安があったからだと思われた。

そして平泉に来てからの潮は、自分のヒの能力を一切隠そうとはしなかった。


平泉には、京に劣らぬ絢爛たる寺がいくつも建立されている。
潮の姿がその寺々で目撃されることが多くなり、ある日義経は潮にその訳を聞いた。
「この平泉は、浄土を体現している」と潮は語った。
「平泉は、京とも鎌倉とも違う国なんだ。黄泉に近い。・・・いや、浄土と言ったほうが近い・・それを色濃く感じる」と。

そして「鞍馬様とも、ここで話すことができる。地脈で鞍馬と繋がってる。川には龍神がいるし。やはりここは浄土なんだ」と説明した。
それを聞いて「日男はやはり日男なのだな」と、義経は笑う。

平泉での日々は、潮にも義経にも穏やかな時をもたらした。

頼朝に追われた後、義経に従って共に平泉へ来た郎党も、この主の奔放な幼馴染を快く受け入れた。
鎌倉の武士達の間ではありえなかった、主従関係を超えた信頼が、この地にはあった。
平泉の領主、藤原泰衡も義経を頼みとしていた。

彼らのことを‘奇跡だ’とさえ潮は思う。このまま平和な日が続かないのは目に見えている。それなのに誰も義経の元を去らない。笑って過ごしている。すでに覚悟をしている。そして彼らに、そう決意させるものを義経は持っている。


「遮那」深厚、潮は館の庭で、月をぼんやりと眺めていた義経を見つけて問うた。
「遮那・・・頼朝さまがこのままでいると思うか?」

「はっきりと問うやつだ」苦笑しながら義経は答えた。
「どこにも逃げられぬなら、時を待つまでよ。・・・日男こそ、ここに留まっているつもりか?」
「私も同じく、ここより行くところがない。・・・今更追い出すなよ?」
義経は一瞬顔をゆがめたが、視線を月に戻した。
「・・・物好きなやつだ・・・」優しい口調だった。


鎌倉から泰衡の元に「義経を引き渡す」ようにと再三要請が来ているのは、当の義経も潮も知っていた。
泰衡がいずれ断りきれなくなることも・・・