あれから、平家との戦は西の海へと移動して行った。

鎌倉の主だった武将達も戦へと赴き、悲喜こもごもの情報を伝えてくる。
その中に、総大将の義経と梶原景時の対立の報告があった。

かたや頼朝の弟、かたや頼朝第一の家臣の対立は、鎌倉にも不穏な空気を運んでくる。

一幡の侍女として毎日を大倉御所で暮らす潮にも、その空気は重くのしかかる。
義経・遮那が心配でたまらない。
鳥達のように空を飛べたら、直ぐにでも飛んでいくのにと思っている。
その気持ちが表に出るのか、時々一幡が心配そうな顔をする。

「大丈夫ですよ」潮は一幡を安心させるために笑顔を見せる。
時に二人は鶴岡八幡へ詣で、みなの無事を祈っていた。
一幡は、なぜ戦などあるのか、と潮に聞く。
その潮とて、同じことを思っている。
ヒの力は、争う心と相反するものだ。他人の感情を捉えてしまえば争う気など起きない。そこにあるのは慈しみであり、哀しみである。

しかし、武士の世界にそれは通用しないのだ。

やがて西海、壇ノ浦にて平家は源氏の軍により滅亡した。


戦勝と恩賞とで鎌倉の町はにぎわっていた。

その中に一つの波紋が広がっていた。

義経への讒言であった。戦のさなかにも梶原氏と対立していたが、いよいよそれが表立ってきたのである。

それを知ってか知らずか、義経が鎌倉に向かっているという報が頼朝に届いた。

潮はその報を聞いて以来、心が騒いで落ち着かなかった。
いよいよ遮那に会える、だが会った時自分はどうするのか・・・
そも遮那に、日男だった自分がわかるだろうか。
そして梶原景時との問題もある。頼朝はどうするつもりだろう。
ひがな一日、その考えが頭を占め、一幡に一方ならず不思議な顔をされた。


けれど、事態は潮の思わぬ方へと進んで行った。

義経は、鎌倉の手前、腰越で頼朝により行く手をとめられた。
あと一歩で鎌倉に入る場所である。

その日から、義経の使者が頼朝の元に、鎌倉入場の許可を求めて頻繁にやってきた。
だが、頼朝は一向に許可を出さなかった。

それが一月ほども続いた。

潮は頼朝の侍女ではないので、詳しいことはわからない。
しかし、一幡の母政子を通して、なぜ頼朝が義経の鎌倉入りを許さないのか理解した。
頼朝は、義経が後白河院から勝手に、左衛門少尉の位を受けた事に激怒していた。
それは頼朝が目指す武家政権への翻意になるのだ。
また、梶原氏との確執が、鎌倉にとっての火種になりかねないことも。
潮は、いまさらながら遮那の立場というものを知った。

鳥達は潮に遮那の様子を伝えてくれる。
兄を慕い、平家を滅ぼすことだけを目標にしてきた遮那にとって、今回のことはかなり堪えているのだと。
それを聞きながら、何もできない自分に焦燥を感じていた潮に、ある日頼朝の呼び出しが掛かった。


かしこまって御前に出た潮に頼朝の命が下った。
腰越まで赴き、義経の様子を探るように、と。

淡々と命じる頼朝の瞳を見て、潮は気づいた。
頼朝が選んだ道を。





とどめ置かれた腰越の満福寺で、頼朝の使者として御所の侍女が来たと聞き、義経は軽い怒りをおぼえた。
それでも、兄に言葉を伝えてくれるだろう望みに、会うことを承知した。

身なりを整え向かった寺の一室に、その使者はいた。
見ればほっそりとした、若い女のようだ。深く頭を下げている。

少し離れた位置に向かい合いに座る。

「・・・それで、兄上はなんと仰せだ」小さなため息と共に発した言葉を聞いて、女の身体が小さく震えだした。
不思議に思った義経が「顔を上げよ」と言う。
目の前にした女の顔を見て、義経は驚いた。
「し・・ず・・か」かすれた声が義経から出た。



「・・・いいえ。静様ではございません。御所の侍女、潮と申します」
潮は、感情を必死で抑えて答えた。

義経は潮を凝視している。
子供の頃の聞かん気が少し残っている、と潮は思った。
けれど、なんと大人になったことだろう。憔悴した様子がかえって人としての深みを感じさせる。

突然、義経ははっとしたように表情を固くした。
「ひ・・お・・」
懐かしい名前を聞き、潮の目から一筋の涙がこぼれた。

「はい。お懐かしゅうございます。日男でございます。」