こんにちは。

さあ!さっさか話をすすめまっす。

第三話です。




春と呼ぶにはまだ早いこの季節に、鞍馬山の闇の中を動く影があった。

たいまつに照らされた若い遮那の顔は、どこか幻めいていた。
月明かりと、たいまつの光が有るとは言え、足元はなお暗い。その暗さをものともせず、道なき道を遮那は山頂へと向かっていた。

鞍馬から貴船へと抜ける一角に「魔王尊」と呼ばれる古代めいた磐座があった。
法眼が、なぜそこを指定したのかわからないが、示された刻限に遅れないよう登っていく。


もうすぐ着くと思えた頃、前方が明るく照らされていることに遮那は気づいた。
急ぎ足で魔王尊へ到着する。

驚いたことに、小さく開けた磐座の周りに3~4人の人影があった。
二人は法衣を着ていた。

そのうちの一人は、鞍馬寺の別当、東光坊だった。
もう一人は、東光坊につぐ僧だ。
驚きのあまり、口も利けずにいると、東光坊が遮那を手招いた。

「とうとうこの時がきてしもうたな」
遮那を見上げて東光坊が言った。

健やかに育った遮那は、東光坊より頭一つ分は背が高い。
身体は大きくとも、まだ人生経験の浅い、この少年を愛しそうに見て東光坊は軽くうなづいた。

「わしがいることに驚いておるのじゃな。遮那よ、この時が来るのはお前がわしの元に来たときからわかっておった」

「・・・師様」
「鬼一殿にお前のことを頼んだはわしじゃ」

「!」
たいまつの影から法眼が姿を現した。

「これがお前と会う最後かもしれぬので、話しておこうと思う」東光坊がゆっくりと話し出した。

「・・・・・・おまえが寺に預けられたとき、わしはおまえの相の中に不穏なるものを見た。それは押さえ込むには大きすぎるものじゃった。」

「無理に抑えてしまえば、やがては寺に大きな厄災をもたらすだろうと思ったわしは、鬼一殿に相談して助役を願った・・・」


「遮那の力を上手く抜くには、思う存分山の中をかけさせることだった」
法眼が東光坊の後をついだ。

「いつのまにか、おのれの出自を聞き及んでいたのは誤算だったが・・・あの頃から遮那は変わった」
含みを持たせるような法眼の言い方に、遮那は自分の出自を知らされた日を思い出した。

数年前の夏の日、人目を忍んで遮那に会いに来た一人の僧がいた。
ぼろぼろの僧衣を着て、無精ひげを生やし、だが目は鋭く光っていた。

自分は源氏の大将の息子であり、父は無念の死を遂げたこと。兄がいること。
父の敵の平家を倒し、いずれは源家を立て直すまで、みな雌伏していること。

「これもおまえの持つ定めなのじゃろう。とめることはかなうまい」
東光坊の静かな声が遮那の耳に入った。

「・・・師様。」遮那は深く頭を下げた。

「遮那よ。よいのじゃ。・・・この先はおのれの力の限り生きよ。今、都は平家が栄えておる。その中で、おまえの場所を探して生きよ」

頭を上げた遮那が見た東光坊の顔は、穏やかで、遮那を慈しむ優しい瞳だった。

「・・・ヒ」法眼が暗闇に声をかけた。

「鞍馬を去るおまえに、せめてもの選別じゃ。巫女の託宣を聞いて行くがよい。心くじける時もあるやもしれぬ。そのときに、鞍馬の神の声を思い出し、前を見て歩んでいけるように・・の」

法眼が声をかけた磐座の方から、あでやかな単(ひとえ)を纏った少女が現れた。
薄く化粧をした少女の顔は、見たこともない美しさだった。この世のものではない瞳の色をしている、と遮那は思った。
寺育ちで、女人の姿などほとんど見たことの無い遮那でも、この少女の美しさは稀なるものだと感じた。

「・・・遮那」細い声が巫女の声から出た。

どこか聞き覚えのある声だった。
「!」まじまじと少女の顔を見る。
「ひ、日男か!?」
かすかに少女がうなずいた。

遮那は固まった。いままで男だと思っていた。口を開けば悪態をつく。へいきで木に登る。剣術も遮那ほどではなくても結構な腕だった。その日男が、今目の前にいる少女と同一だとは信じられなかった。

「鬼一殿とヒ殿は、日の族(ひのうから)という一族の出じゃ。古くより各地の磐座を守っておる。」

「一族の中でも霊力の強い女性(にょしょう)は、巫女として磐座を守る任に就く。その巫女をヒと呼ぶ」法眼が説明を次いだ。

目で少女に先を促し、法眼は遮那の腕を掴み磐座へと導いた。

「其の目で見、耳で聞け。」

単を着ていても、ヒは軽々と磐座へ上り静かに瞳を閉じた。

山の空気が緊張した。少女を見つめているだけなのに、遮那は冷や汗を感じていた。

「・・・遮那。」低く静かな声が少女の口から発せられた。

「行く道はひとつ。おのれの心の望みはなにかをみつめよ。信じたるもののおもいにこたえよ。道はそこに示される」








「遮那」
遮那を呼ぶ日男に、夕べの人離れした瞳の色はもうない。
簡素な女物の着物を着た日男を、眩しげに眺め、遮那は言った。
「元気で暮らせよ」もっと何か言いたいと思うが、上手く言葉に出なかった。

「遮那」みるみる日男の瞳に涙が溢れた。何年も共に暮らした遮那との別れに、寂しさがましたのだろう。

自分にも、喉の奥からこみ上げるものがあったが、あえて見ぬふりをして背をむけ、歩き出す。


「遮那!遮那!」日男が何度も呼ぶ。
「・・・・鳥を・・・鳥を見たら、私だと思って!鳥はヒの使いだから!」

遮那は振り向かず走り出した。