ケータイ小説 | 渋谷で働くマーケターたちのアメブロ

ケータイ小説

本年もよろしくお願いいたします。



さて、雑誌「文學界」の新年号に、「ケータイ小説は『作家』を殺すか」と題した座談会の模様が収録されていました。



座談会に参加しているのは、中村航氏(作家)、鈴木謙介氏(社会学者)に加えて、草野亜紀夫氏(魔法のiらんど編成部長)の3名。



文芸誌という雑誌の特質上、どちらかというと「ケータイ小説」を軽視した感じの中村氏・鈴木氏と、もちろん「ケータイ小説」サイドの草野氏、という穏やかではあるものの対立した構図が見て取れて、おもしろい鼎談になっています。



実際の発言が少なかったのか、それとも編集上なのかはわからないですが、魔法のiらんど・草野氏の発言が目立たないのはちょっと気になったものの、一昨年くらいから目立つ「ケータイ小説」ブームについての洞察が結構あったように思います。



以下、抜粋・引用。



まず、「ケータイ小説」の消費のされ方について。

中村 つまんない話をしちゃいますけど、「ケータイ小説」を読んでいる子って、たぶんほかの小説は読んでいないと思うんです。 なぜ読まないかと言えば、それは面白くない(と思い込んでいる)からということでしょう。 彼女らにとっては「ケータイ小説」の方が面白いわけです。

僕が思うに、「ケータイ小説」は今までの小説の代わりではないんじゃないかと感じています。むしろJポップとか漫画とかの代わりになったんじゃないかな。 このパイの大きさを見るとそう思います。 少なくとも既存の小説を読んで、こっちはつまんないから、じゃあ「ケータイ小説」読もうって流れではないでしょう。


鈴木 なるほど。 実は書店においてある「小説」と「ケータイ小説」って、本当は市場が違うものなんだけれど、同じパッケージ(書籍)だから「文芸書売り上げランキング」で一緒に扱われているということですよね。


中村 そうなんですよ。漫画のところに入れて欲しいくらいです。


鈴木 消費のされ方についても似ていますよね。 連載中には雑誌をコンビニで立ち読みして、単行本が出たら買う、という感覚と一緒だと思います。


中村 あとはCDかな。CDって中に何が入ってるかわからなくてもジャケットが格好よかったら買ったりするじゃないですか。『恋空』を見てもわかるんですけど、カバーが凝ってますよね。これを買う人って、一種のジャケ買いをしてるんじゃないかと思うんですけど。


草野 カバーに力を入れてるというのはあります。やっぱり見た目がかわいくないとなかなか手にとってもらえないですね。でもジャケ買いはほとんど無いと思います。お小遣いの少ない学生がほとんどですから。

(pp. 197-198)

ここだけ見ても、中村氏・鈴木氏と草野氏のスタンスの違いが見て取れますね(笑)

でも、「ケータイ小説」と既存の文芸書とでは、別カテゴリとして消費されているという指摘は、正しいと思います。



その他、多くの場合「実体験をもとにして」書かれ(たとされ)、「作者と主人公の名前が一緒」という点をあげて、読者はこれら「ケータイ小説」から「感動じゃなくて共感」を得ているのではないか、そしてそのため、「自分の生活の延長線上=自分の身には起こってないけど、友達くらいなら起こるかもしれない」こととして読者にも想像可能なものとして、「実体験」が用いられているのではないかという議論も、当たり前ではあるけど興味深いです。



もう一箇所、面白いと思った点。

中村 読者の心理としてすごく不思議に思うことがあるですよ。「ケータイ小説」って配信されたものを読むのは基本的に無料じゃないですか。 でも何で書籍の形になっても売れるんでしょう? 一度読んだものならわざわざ買う必要もないと僕なんかは感じてしまいます。


草野 『天使がくれたもの』という作品で特に有名なんですが、「携帯で読んで感動しました。是非書籍化してください。もっと多くの人に読んで欲しい」という読書の声がありました。 あとは「この作品が好きなので書籍化してください。自分で買って手元に置いておきたいんです」と言う方もいました。 やっぱり思い入れの部分が強いんですよね。


中村 バイブルですね。


鈴木 一冊自分の手元に置いておきたいっていう感覚ですか?


草野 そうです。もっと極端な例を言っちゃうと、「一冊は保存用で、一冊は自分が読んで、一冊は貸します」みたいな例も、稀ですがあります。


鈴木 ファンだ。(笑)


中村 すごいね。


草野 やっぱり形になったものとして置いておきたいという、作品に対するファンの感覚ですよね。

(p. 196)


Webプロモーションも、やっぱりファンに「手元に形として残したい」と思ってもらえることが、大事なのではないかと思いました。それが「リアル」であるかどうかはまた別の問題ですが。



------------------------------


余談ですが、今号では「幼児洗礼」というキリスト教における至極神学的な問題をめぐる議論を非常に簡単な語り口で解説している高橋源一郎氏の「ニッポンの小説(第三十七回)」と、

宮沢賢治の書体を分析すると、印刷された活字の書体をモデルに字を書いたケースが見られるということを論じた書家・石川九楊氏の「宮澤賢治の筆蹟を読む(下)」が興味深かったことと、

評価すべき作家ではあるものの吉田修一氏が文學界新人賞の選考委員になっていることには驚きました。



<メディアマーケティングG 新井 俊悟>


文学界 2008年 01月号 [雑誌]
¥950
Amazon.co.jp