長かった姫路城編も今回が最終回。
帰りは搦手口方面へ向かいます。
(草木が茂る石垣) (帯の櫓①)
(帯の櫓下の石垣の美しい角度) (帯の櫓②)
(との四門) (帯の櫓)
(堀)
( 概 要 )
姫路城は、現在の姫路市街の北側にある姫山および鷺山に築かれた平山城です。日本における近世城郭の代表的な遺構です。
歴史は中世に赤松氏が姫山に城を築いたことから始まります。戦国時代後期には羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として最初は池田氏、のち本多氏や酒井氏などの譜代大名が入城しました。明治時代には陸軍の兵営地となりました。この際に多くの建物が取り壊されましたが、大小天守群、櫓群が当時の陸軍省の働きかけによって名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられ、太平洋戦争では空襲に見舞われたものの、天守閣最上階に落ちた焼夷弾が不発弾となるという幸運もあり奇跡的に焼失を免れました。
現在では天守を始め多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)が重要文化財に指定されています。また1993年(平成5年)、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。現存天守は江戸時代以前に建造された天守が現存する日本国内12箇所の城の一つであり、いわゆる「国宝四城」の一つでもあります。
(国宝)
天守(だいてんしゅ)
東小天守(ひがしこてんしゅ)
西小天守(にしこてんしゅ)
乾小天守(いぬいこてんしゅ)
イ・ロ・ハ・ニの渡櫓 4棟(附指定:台所1棟)
(重要文化財)
イの渡櫓、ロの渡櫓、ハの渡櫓、ニの渡櫓、ホの櫓、ヘの渡櫓、トの櫓、チの櫓、リの一渡櫓、リの二渡櫓、折廻り櫓、井郭櫓、帯の櫓、帯郭櫓、太鼓櫓、ニの櫓、ロの櫓、化粧櫓、カの渡櫓、ヌの櫓、ヨの渡櫓、ルの櫓、タの渡櫓、ヲの櫓、レの渡櫓、ワの櫓、カの櫓、菱の門、いの門、ろの門、はの門、にの門、への門、との一門、との二門、との四門、ちの門、りの門、ぬの門、水の一門、水の二門、備前門、との四門東方土塀、との四門西方土塀、との二門東方土塀、との一門東方土塀、への門東方土塀、への門西方土塀、水の一門北方築地塀、水の一門西方土塀、ニの櫓南方土塀、水の五門南方土塀、イの渡櫓南方土塀、にの門東方上土塀、にの門東方下土塀、ロの櫓東方土塀、ロの櫓西方土塀、はの門東方土塀、はの門西方土塀、はの門南方土塀、ろの門東方土塀、ろの門西南方土塀、化粧櫓南方土塀、ワの櫓東方土塀、カの櫓北方土塀、菱の門西方土塀、菱の門南方土塀、菱の門東方土塀、いの門東方土塀、太鼓櫓南方土塀、太鼓櫓北方土塀、帯郭櫓北方土塀、井郭櫓南方土塀、トの櫓南方土塀、計74棟
( 感 想 )
さすがの天下の名城。
歴史的な価値も、美しさも日本一といえます。
歴史的には、国宝に指定されている天守だけでなく、重文の櫓の数々等、価値のある建造物が、
あちこちに美しい形で残っていて、素晴らしいとしかいいようがありません。
保存状態も素晴らしくタイムスリップしたかのような感覚さえ受けます。
また、白鷺城とも呼ばれる天守群の美しい姿は惹きつけられます。
何度行っても、素晴らしいなと感激する最高の城郭です。