私が泣いた理由。 | marimo's blog

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青年海外協力隊で、作業療法士としてヨルダンに派遣されています!

文化も習慣も全く違うこのイスラム社会で、
山あり谷あり奮闘しながら、2年間の活動を綴ります!

先日、こっちに来てはじめて大泣きしました。
日本にすごく帰りたくなって、なんでこんな所にいるんだろ私‥って正直思ってしまいました。

まぁ2年間、始終ずっと楽しく過ごせるわけないし、
他の協力隊の話を聞いてたらすごく辛い思いをしている人もたくさんいるのを知っているから、

「そういや、こんな大変なこともあったな~。」って何年後かに見返して微笑むことができるようにするために、この前の辛かった出来事について書こうと思います。


***

私はこのセンターのボランティアスタッフでありますが、日本の税金を使って青年海外協力隊員として活動させてもらっているわけです。

ただでさえここアカバはアンマンまで4時間かかる遠い場所にあり、アンマンの隊員とは勿論、JICAスタッフとも疎遠になりがちです。
その為、私はセンターの抱える問題点や改善点なども、JICAのスタッフと都度共有したいと思っており、義務ではないのですが、時折活動報告をしていました。

前の記事に、リハビリを待っている人が沢山いるのに、順番が回ってこないことについて書きました。
そのWaiting listのことについても触れ、その他も諸々の改善すべき点などを書き、現状をJICA担当スタッフにメールで送ったのです。

その後、JICA担当スタッフから、私の活動先のアンマン本部のボスに、アカバセンターの問題点をまとめて早速送ったとの知らせがあり、




その後のアカバセンターに嵐が起きてしまったのです‥。




JICAがアカバセンターの問題点と言った形でメールを送ったことで、アンマン本部のボスがメールの真相判明と、問題点の解決を目的にアカバセンターに訪問し、

アンマンのボスの突然の訪問のきっかけが私がJICAに送ったメールが原因であったことがわかったアカバの同僚が怒り、

「あなたは友達だと思ったから色々喋ったのに、もう一切何も喋ることはできない。」

と言われ、(彼女の仕事が沢山ありすぎて大変そうだと書いた内容について)

アンマンのボスはJICAからのメールをわざわざ印刷までして、
これは本当だと思うか、思わないか?Yes?or No!!??
こんなことはあなたに関係ないだろ!?そう思わないか?

って言う形での尋問が始まり。

アカバセンターのように無料で医療が受けられるところは、アカバの他にどこにあると思うのか!??!

と、こんなにいい施設の一体どこが悪いのか?と言った感じでクレームを言われたのです‥。


彼らは、上の人に問題点を知られるのを本当に嫌うのです。
同僚はアンマンのボスに知られたことに、アンマンのボスはJICAに知られたということに、怒っていた様子でした。


要は、プライドの高いヨルダン人の逆鱗に触れてしまったのですね。

単なる現状報告という形で送ったメールは、
日本語→英語とワンクッション挟むことでニュアンスも大きく変わってしまい、

私が一言も書いていないignoreや、lack of communicationという単語を、アンマンボスがぐるぐる丸でなぐり囲んでいるのを見て、彼の相当な怒りを感じました。

声を荒げないように繕い、抑えきれていない怒りを抑えようと必死な、アンマンのボスの顔‥。凄かったです。。。


一通りの尋問を終えた後、Waiting List問題についても話し合いました。

ただ、話し合うと言うよりは、責任を押し付けられたと言った形で、
「waiting listの問題は、あなたの責任。
あなたがカウンターパートと子供を別々で見ることで解決する。」

と言われ、

JICAの趣旨や技術移転をするには一緒に見ることが必要と説明しましたが、JICAが間違っている。話し合う必要がある。との見解‥。
あなたとカウンターパートが別々に見ることで一体何人の患者が救われると思っているんだ?、と言われる始末。

ただ、私もここで折れては何も変わらないし、そもそもこの解決策では根本的な解決になっていないですし、結局、タイムスケジュールの大幅な変更をして、それでも解決できない時には別々に患者を見ることを再考するということで落ち着いたわけです。

話し合いの最後に、これからは一切の提案ですら、アカバセンターより先にJICAには送るなと強く言われ、終了‥。


否定されることが大嫌いで、目先のことばかりに捉われがちなこの国民性。
長く見据えたことにはなかなか目を向けられないのかな、と悲しくなりました。


今回のアンマンボスの訪問は、メールに書かれてあったwaiting listの問題を解決しに来たと言うよりは、
メールに書かれていたことが間違っている、そのことを証明しにきたといった感じで

患者さんのことを考えるっていう、とっても大事なことがすっぽり抜けていて、

誰のための医療?
誰のためのセンター?
一番に優先して考えなければならないことは何?

といった疑問を言いたくて言いたくて仕方がなかったのですが。

これを言ってしまうと、
あとの仕事が大変になるのが分かっていたので我慢しました‥。
このボスとの面談中、悲しい気持ちとイライラと、どこへもぶつけられない怒りが錯綜していたわけです。


こんなことがあった後、今まですごく優しかった同僚も、私に対して挨拶はするものの冷たい空気を発するようになって。


何のために私はこの医療の進んでいない国で人助けなんてしようと思っているんだろう?
どうして私はここにいて、不平等な医療を是正したいと思っていたのに、罵られてこんな悲しい思いをしているんだろう。


そう思ったら、それまでは本当に優しかった同僚の前で、意を決して誤解されたことについて話しているうちに泣いてしまいました。

それから、
同僚は私の突然の涙にびっくりして、

「あなたがそんなに悲しい思いをしているのを知らなかった私はとっても悪い友達ね。これからも、3人でどこかレストランに行ったり、楽しいことをしよう。」

「私のことはもういいの。あなたも、今までここのセンターについて知らなかったわけだし。」

「あなたのことは信じるから、もう泣くのをやめて。素敵な笑顔が台無しよ。」


と言われ、抱きしめられてしまいました。


***


私が今ハマっている龍馬伝の中で、
「狙われるようなことをしないと世の中は変えられない。」
と言うセリフがありますが、

私も標的とされるような今回の事件があったから、タイムスケジュールの大幅な変更をすることができたのかなぁ、なんて感じています。

なぜなら、タイムスケジュール変更に伴い、何か月もリハビリを待っていた、4人の患者さんを受け入れる準備ができたからなのです。

そう考えると、JICAスタッフが送った一通のアンマンボス宛の爆弾メール(スタッフは、あくまで私を心配して、私の活動の手助けをする意味で送っています。)は、意味のある貴重なメールだと思えている今日この頃です。

すごく泣いたけど、同僚とも仲直りをすることが出来て、今は前向きに捉えられるようになってきました。

そんなこんなの私が泣いた理由。
しばらく凹んでいましたが、やっとブログにかけるまでになりました。



おまけ。

泣き止もうとしている時に、いっつも底抜けに優しいバスの運転手に見つかり理由を聞かれ、もう終わったことだからいいの、と説明しても分かってもらえず、
あなたが話してくれないなら僕も口を利かないから、と彼が怒ってしまいました。

なんだこのループ‥
明日には話してくれると良いのですが‥。