第316話 初回面接
部屋は十二畳ほどの広さだった。
一番奥に中川のデスクがあり
部屋中央のローテーブルを囲むようにして
いくつかのソファーと一人がけの椅子が置かれている。
家具は落ち着いた色で浮いた印象を与えるものはなく
何もかもがが部屋に溶け込んでいて落ち着くように配慮されている。
私はさっさと三人がけのソファーに座ってしまったが
父がまたバカ丁寧な挨拶をはじめ
二人が名刺交換をしているのをしばらく眺めていることになった。
中川が自分の定位置らしき一人掛けの椅子に座った。
父が入り口近くのソファーに腰掛けたのを合図に
「はじめまして、よろしくお願いします」
と、私はやや緊張しながら第一声を発した。
中川は目じりをほんの少し下げて
「ここに来た理由をお話願えますか?」と尋ねた。
私は待ってましたとばかりに、はりきって話し始めた。
自分の生い立ち、家族構成、学生時代の問題行動、家出をしてから何をしてきたか。
ホステスを経てAV女優になりストリッパーに流れたこと。
中絶したこと、ドラッグに手を出したこと。
ドラッグによる超越体験で神を知ったこと。 現在仙台に愛する男がいること。
そして、仙台での恐ろしい体験を経て、今は精神病院に入院していることまで。
話に強弱をつけ
ある種パフォーマンスのような話し方をした。
「それで、ここに来る途中も
やっぱり仙台人に追跡されているようでした。
何か巨大な組織の陰謀に取り巻かれているとしか思えません。
私はもうすでに覚醒剤を使用していないわけですし
つまり、その組織が私を追跡していることと
覚醒剤との間には何の関係性もなかったということですよね?!」
プレゼンさながらの自己紹介をこのように締めくくり
お手並み拝見とばかりに中川にパスを出した。
どのような答えが返ってくるのか、私は中川の言葉に集中した。
「それはいろいろと大変でしたね」
中川は一言だけ発して沈黙した。
また私が話す番なのだろうか。
どうすればいいのかわからずに居心地が悪くなる。
かなり大雑把ではあったが
私は十分にこれまでの経緯を説明できたと思っている。
私の話の中には
中川が拾って広げるべきヒントが余り多くあるはずだ。
時計を見るとすでに三十五分が経過していた。
面談の時間は五十分しかない。 さっさと中川の凄さを証明してもらいたい。
「そういうわけなので、セラピーを開始してもらえますか?」
私は軽く苛立ちながら中川を急かした。
「セラピーは共同作業です。 我々の目標を決めましょう。
何を治療の最終目標にしましょうか?」
中川が言った。
「目標?」
目標と言われてもピンとこない。
セラピーは過去に向けられるものではないのだろうか。
目標よりも原因を追求してもらいたいと思った。
「目標は… 今の彼と幸せになることです」
「そうですか。 幸せというのは、少し抽象的な概念にあたるので
具体的で現実に即した目標を立てましょう」
今度はすぐに中川から返事が返ってきたものの
『具体的で現実に即した目標』という意味がよくわからず私が黙ってしまった。
「俊ちゃんと幸せになる」というのは、抽象的なことなのだろうか。
だけど、私にとってはこれ以上に現実的で具体的な目標はないように思えた。
望むことはそれだけなのだ。
私が返事に困っていると中川が言った。
「ドラッグをやるというのは自己破壊的な行為ですよね?」
「えっ…自己破壊的な行為?」
私はまた少しの間考え込む。
「うーん、でも気持ちよかったり、精神拡張のために使ってたからなぁ。
すごい集中力を発揮できるようになるので、本もたくさん読めたし…
一般的には自己破壊的って思われるのかもしれないけど
でも、私にとってはむしろ生産的だったのではないかなぁ… 少なくとも最初の頃はね。
私、ドラッグが悪いものだって全然思っていなかったんです」
「そうですか」
中川はまた一言で沈黙する。
苦手な間合いというか、私はその沈黙を嫌った。
テンポ良く会話が続かないと調子が出ない。
「アメリカでは日本とは比較にならない程、ドラッグは蔓延しています。
多くの症例を見てきましたが、ドラッグは肉体にも精神にも極度の負担をかけるものです」
中川が言った。
「はい…」
そんなことは言われなくてもわかっている。
「ドラッグをしっかりやめて、社会復帰をする。 これを目標にやっていきましょうか?」
中川が力強く私に投げかけた。
「はい…」
私は腑に落ちないまま相槌を打った。
「セラピーのペースはどうしますか?」
「先生、週に一度ということでよろしいでしょうか?」
父が始めて口を挟んだ。
「はい。 それではそのようにしていきましょう。 では、次回は…」
中川は背広の内ポケットから手帳を取り出して開いた。
時計を見ると長い針が丁度五十分を通過したところだった。
「来週の木曜日、時間は今日と同じでどうでしょうか?」
なんだかよくわからないうちに
私と父はマンションから出ていた。
「うげーー! 何なの! これで二万円ってどんだけぼったくりだよっ!」
表の通りに向かいながら、私は父に八つ当たりした。
「ははは、今日は初回面接だからな。
良かったじゃないか、セラピーしてもらえることになったんだから。
腹減ってないか?」
「あぁ、何か食べようか~」
私と父は道路を渡った所に洒落た個人レストランを見つけ
そこに入ることにした。
牛タンシチューを頼んだ。
「お父さん、セラピーは来週やってもらえるの?
揺り椅子みたいなのなかったよね? 催眠術かけるんでしょ?」
「おまえ、何か勘違いしてるな。 もう今日のセッションからセラピーは始まってるんだよ?」
「はぁ? ただ、私が自分のこと話しただけじゃん。
あの先生、自分の意見なんて一つも言ってなくない?
てか、全然話さない人だよねぇ?
フロイトの本には揺り椅子で催眠術かけてトラウマを暴くって書いてたよ!」
「はははは、フロイトはこの世界ではすでに古典の部類だ。
そんな精神分析はもうどこでも行われていないよ。
第一人者なんだから中川先生を信頼しなさい。 あの先生以上はいないよ」
「つーか、あの先生と五十分ただ話すだけで二万円? 銀座の高級クラブかよ!
酒飲まないんだから、もっと割高だよねぇー!
それに社会復帰って何かね? 働けばいいってこと? そんな目標すぐ達成だよ!
現実の問題なんて自分で決めてどうにかするよー!
セラピーって、もっと心の側に焦点を当てたものだと思ってた。
私がこうなってしまった理由。 原因の追究。 つまり、犯人探しをして欲しかったの!」
「そう思うなら、そうやって次のセラピーの時に言ってごらん。
今のまりもは、まだ覚醒剤の影響が残っているからな…
昔の外傷体験を語る段階ではないんだろう。
だんだんと治療関係が安定して深まってくると、自然にそういう風になっていくから心配しなくていい。
トラウマカウンセリングは技術を必要とするものなんだよ。
まりもがトラウマを話すだけで終わると再外傷体験になるだけだ。 外傷だから出血する。
止血してセッションを終えないといけない。 とにかく全てを中川先生に任せなさい」
「なんだかなぁ~…
とりあえず来週に期待するかぁー、でもセラピーって何回くらいで終了するの?
私、退院したらすぐにでも仙台に行こうと思ってるんだけど」
「まりも、せっかくいい先生につくことが出来たんだから
セラピーだけはどんなことがあっても続けろよ。 金はお父さんが出してあげるから。
何回で終了するかは、個人差があるからわからないよ。
数回のセッションで終わる人もいれば
何年もセラピーを継続して生活の一部になってる人もいる」
「うぅーん… じゃぁ仙台に行っても、週に一度はこっちに帰ってきてセラピーを受けるかぁ…
目に見えた効果がないんじゃ続く自信ないけど… しばらくはそうしてみるよ
私はとにかくドラッグをやめる。 それだけは約束するよ。
ドラッグさえやめて、俊ちゃんと一緒にいれば問題はないと思うんだよねぇ~
俊ちゃんさえいればいいの。 俊ちゃんと二人でいられればそれだけで満足なの!」
「それをそのまま、中川先生に言えばいいんだよ。
あの人は、おまえの言葉を聞けば心が透けて見えるだろうからね」
その店の牛タンシチューはとても美味しかった。
タクシーに乗ると
よほど疲れていたのかすぐに眠ってしまった。
病院につくと、また面倒な手続きがあった。
八代から「今日はどうでしたか?」と期待を込めた質問をされたけれど
私は「微妙だった」とだけ言って元いた閉鎖病棟に戻った。
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