第312話 躁的防衛 | らぶどろっぷ【元AV嬢の私小説】

第312話 躁的防衛

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「お父さーん、私って躁病なのかなぁ?」


翌日見舞いにやって来た父に

躁病の薬が処方されたことを伝えた。


「おまえは昔から明るくて活発な子だったからなぁ。

まりもが高校の時、お父さん、先生に呼び出されたことがあっただろ?

その時、躁病の薬を飲ませたらどうだって嫌味を言われたんだよ。

お父さんはそんな必要はないって言ったけどな」


「えっ? そんな話は初耳なんだけど?

それって嫌味でもなんでもなくて先生本気だったんじゃないの?

やっぱり私って昔からおかしかったんだ? 自分じゃこれが普通だから全然わかんないや!

そういえば、テンション高いね~っていろんな人から言われるもんなぁ…」


「でもね、まりも

これは少し専門的なことになるんだけど、躁的防衛っていう言葉があるんだ。

躁状態になることで、自我を完全な絶望から保護するんだよ。

にぎやかに、明るく、能動的に振る舞うことで、内心の不安や怒りを隠してしまう。

精神的ストレスが深く大きいほど、躁の跳ね返りも大きい。

お父さんはまりもは本来は鬱なんだと思うよ。

前に浩一と理沙と一緒にエヴァンゲリオンを見ていただろ?

あれに出てきたアスカっていう子が躁的防衛だよ。 わかるかい?」


「えぇーーー! 鬱なんて私には一番無縁だと思うんだけど?

まぁ確かに、アスカにはかなり共感できる部分はあったけどさぁ。

でもやっぱり自分じゃ全然わからないなぁ… 鬱を隠すための躁だなんて!

どっちにしても精神病ってこと?! うげぇー」


「いやいや、まりもは明るくて元気な子なんだよ。 

それはおまえの魅力だし長所だろう? 

病気じゃなくて個性の範囲だとお父さんは思っているよ。

だから気にすることはないじゃないか」


「ふーん! まぁいっか。

楽しく生きたもん勝ちだもんねっ!」


「治療には段階があるんだ。

今はとにかく、覚醒剤をやめることだけを目標に頑張ろう」


「うん、もう覚醒剤はやらないよ。

今でも覚醒剤が悪いものだって思ってるわけじゃないけどね。

だけど、やらないでも別にいいかなぁっていうのが正直なところ」


「そうか。 今はそれでも十分じゃないか?」


父は私の目を見詰めてゆっくりと話しかける。


父の頭に目をやると

白髪が随分増えたことに気がつく。


「お父さん、私さー…

入院したおかげで、こうやってお父さんといろんな話が出来て

それはすごく良かったなって思ってるんだ。 

なんつーか… お父さんって、私のこと心配してくれてるんだね… 当たり前か…」


「それはもう! お父さんはまりもを愛しているからね。

おまえが子供の頃はお父さんも若かったんだよ。

今思えば、もっとああしてやれば良かった、こうしてあげれば良かったって後悔ばかりなんだ。

だから今、必死でお前との関係を修復しようと思っている。

まりものためだけじゃないんだ。 お父さんのためでもあるんだよ。

今は家族で失われた時間を取り戻す大切な作業をしている最中だ。 一緒に頑張っていこう」


『お父さんはまりもを愛しているからね』

それはまるで魔法の言葉のように心の深い部分にまで浸透していき

思わず涙が出そうになった。


「うん。 ありがとぉ

私もお父さんが大好きだよ」


父はうれしそうに目を細めて

もう冷めてしまっているコーヒーを口に運んだ。


私は父と向き合って話すことで

ずっとずっと欠けていた何かが埋まっていくような充足感と安心感を得ていた。



それからまた一週間がたとうとしていた。


「もう! 覚醒剤はやらないって言ってんじゃん!

やっしーの分からず屋!!! さっさと退院させてよ!」 


あいかわらず

八代と私は『退院』について不毛なやり取りを繰り返している。


退院したら覚醒剤は絶対にやらない。

その気持ちに嘘はなかった。


正直に言えば

目の前にブツがあれば手を出さない自信はない。


けれど

わざわざ自分で買いに行くことはもうないように思えた。


ただ、覚醒剤を完全にやめて二週間が経過した今でも

あの仙台での出来事が幻覚や妄想だとは思えないでいる。


あれは間違いなく現実だという認識は揺るぎようがなかった。


だけど、それを証明しようとか

真実を解明しようという気持ちはもうなくなっていた。


よくわからないことはわからないままでいい。

そう自分の中で処理するほかなかった。


編みかけのセーターもだいぶ完成に近づいてきた。


俊ちゃんがセーターを着ている姿を想像しながら

一編みごとに想いを込めた。


その日の八代との面談では

もう退院させてくれとは言わなかった。

代わりに「俊ちゃんに逢わせて欲しい」とお願いした。


八代はカルテを見て入院日数を数えながら

少し考え込むような仕草をした。


「そうですねぇー。 退院する前に彼に逢って

どのような心的反応がおこるのか見ておく必要はありますからね。

彼はこちらに来てくれそうですか? 面会許可を出しましょう。

ご家族の面会と同じように院内の喫茶店までは行ってもいいですよ」


「えっ! 本当! やっしー大好き!!!」


八代は苦笑いしながら

面会許可の用紙に俊ちゃんの名前を書き込んでくれた。


私が電話でそのことを伝えると

俊ちゃんは「明日行くよ!」と喜んで言ってくれた。


仙台から新幹線に乗って

横浜のこんな辺鄙な山奥まで来るのはさぞかし大変だろうけれど

「早くまりもに逢いたいから」と言ってくれてありがたかった。


その日の夜は興奮してほとんど眠れず

朝日が昇るとすぐにメイクをして

俊ちゃんの到着を待ちわびた。


お昼前に看護婦がやって来て

「彼氏、来たわよ」と伝えられた。


私は閉鎖病棟の入り口まで走った。


ガラスの向こう側にスーツ姿の俊ちゃんが見えた。


「早く開けてっ! 早くってばっ!!」

私は看護婦をせかした。


「かっこいい彼氏ね、楽しんできて」

看護婦はにこりと笑って電子ロックを解除してくれた。


「俊ちゃん!!!」


大声で叫び俊ちゃんに飛びついた。

首に両手を回して力いっぱい抱きしめ目を閉じた。


「逢いたかった」


俊ちゃんに触れて

全身の細胞が歓喜し

気持ちは天まで舞い上がった。


俊ちゃんは私の腰に手を回して

優しく抱きしめてくれた。


「俺も逢いたかった」


二人の愛情が溶け合って一つになる。

最高に幸せな瞬間に溜息が漏れた。


同時に

この幸せが数時間で終わってしまうことに堪らなく不満になった。


――いやだ――

――もぉ絶対に離れたくなぃ――


喫茶店は外来病棟の入り口のすぐ脇にある。

警備員がいるわけではない。


私は俊ちゃんの体温を感じながら

あろうことか脱走の計画を練り始めていた。


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