第311話 適応
「やっしー! いいかげん退院させてよっ! もぉー!」
私は八代の姿を見かけると元気に走って追いかけていく。
入院生活も一週間を過ぎようとしていた。
「あなたの適応能力には恐れ入りますね」
八代は苦笑しながらいつもそう言う。
私はこの世の果てでの生活にすっかり慣れてしまっていた。
お婆さん達の話し相手になるのは苦にならないし
退院するまでに俊ちゃんにセーターを編もうと決め
毎日せっせと編み棒を動かしている。
同室の尾崎さんが編み物が得意で
何でも丁寧に教えてくれるのだ。
尾崎さんは年齢は50代で
無口だけど親切な人だった。
尾崎さんがホールで絵を描いているところを見かけ
「何描いてるの?」と声をかけたのが親しくなったキッカケだった。
尾崎さんは
自由画帳に腕時計のデザインを書き溜めていた。
どれも斬新かつ奇抜なデザインで
色えんぴつで綺麗に色づけされていた。
「すごい!!! こういう仕事をしていたの?」
私が聞くと尾崎さんは首を横に振って否定した。
「こんな才能がこんなところで埋もれていていいわけがないよ!」
本気でそう感じた私は
居ても立ってもいられなくなり
八代を呼びつけて「尾崎さんは天才だよっ!」と猛烈に語った。
八代がのらりくらりと交わすものだから
今度は見舞いに来た父にもその自由画帳を見せてやった。
「お父さん! こんなの描けるのって普通じゃないでしょ?
尾崎さんってピカソなみの天才だよ! 絶対そうだって!」
父は興味深そうに腕時計のデザインを見ながら
「これは確かにすごく上手ですね」と感想を述べ
尾崎さんに自由画帳を返した。
尾崎さんは俯いたまま
「そんなことないですよ」とぼそっと呟いた。
「尾崎さんはどこも悪くないんだよ?
もぉ! すぐにでも社会に出てこの才能を生かすべきだよっ!」
そうは言ってもどうにもならない。
それは私にも分かっていた。
尾崎さんの他にも精神病院には
驚くような芸術的才能の持ち主が大勢いた。
父と二人で院内の喫茶店に向かう。
閉鎖病棟から出られる唯一の時間だった。
私はホットミルクとクリーム餡蜜を頼んだ。
「ねぇ、お父さん、一体いつ退院できるの?
もぉ覚醒剤なんてやりたいとも思わないし。 検査の結果も全部正常だったみたいだよ?」
「うん。 八代先生とさっき話しをしてきたけど、経過はわりと順調だとは言っていたよ。
だけど、おまえ眠剤の量が増えてるんだって?」
「あぁ、だってさぁ~なかなか眠れないんだもん」
「覚醒剤を長いことやっていたから、睡眠のリズムが戻らないのかもしれないな。
眠剤も依存性と耐性があるのは知っているね?」
「う~ん、でもオーバードーズさえしなければ何も問題ないでしょ?
それにやっしーはハルシオンは出してくれないんだよっ! レンドルミンだけ! ケチなんだ!」
「ハルシオンの方が依存度が高いからだろ。 レンドルミンは睡眠導入剤だから」
「四錠に増やしてって頼んでるんだけどなぁ~」
私は一日三錠の眠剤を処方してもらっている。
だけど飲むのは一錠だけで残りの二錠はこっそり溜め込んでいた。
退院したら
眠剤とお酒を一緒に飲んで遊ぶつもりでいる。
悪さが好きな性分は
精神病院に入院したからといって
なかなか治るものではなかった。
「おまえは今、寝なくちゃいけない、起きなくちゃいけないっていう生活ではないんだから
眠くなかったら眠くなるまで起きていればいいじゃないか。 薬に頼らず自然にまかせてごらん」
「うーん… そうだけど、でも消灯時間があるしなぁ」
「消灯時間も守ってないんだろう?
ドラマがある日は十時までイヤホンでテレビを見てもいいって
八代先生が許可を出したって言っていたぞ。 あんまり我侭ばかり言うなよ」
「あぁ、それはビーチボーイズのある日だけね! 反町と竹之内を見ないわけには!
そんなことより早く退院できるようにやっしーに言ってよ!」
「不自由なく楽しんでるみたいじゃないか。
退院に関してはお父さんも八代先生の判断にまかせているから」
「楽しんでないよ! もぉ一週間だよ? 限界だよっ!」
「毎日お父さんとお母さんがお見舞いに来るからもう少し辛抱するんだな」
父は笑って言った。
「そういえば、お父さんとお母さん以外は誰もお見舞いに来ないんだよ?
お婆さん達みんなさみしそう。 家族はこんな所に入れて、後はほったらかしなのかな?」
「おまえが患者さんの世話をしてくれるって八代先生が褒めていたよ。
車イスを押したり食事を運んだりしてるんだって?」
「うん。 だって若いのは私だけだしね。
みんなね、私が何かしてあげるとすごく喜んでくれるんだ。
一人さ、意地悪婆さんみたいにいつも怒ってる人がいるの! その人も私にだけは心を開くよ」
「ははは、おまえはこういう所に就職したらいいかもしれないな
患者さんをサポートする仕事はいろいろあるんだよ」
「私、カウンセラーとかセラピストになりたかったなぁ
患者さんの気持ちがよくわかるもの!
そういう面ではやっしーやお父さんよりも優秀だと思うよ」
「そうだな、退院したら勉強して頑張ればいいじゃないか」
「それは今更無理だよ…」
「そんなことはないよ! お父さんもまりもにはそういう才能があると思うよ!」
父はそう言ってくれるけれど
カウンセラーやセラピストになるためには
最低限大学を卒業していなければ資格を取ることも出来ない。
勉強もせずに
好き放題遊び歩いてきた私にはそんな資格はなくて当然だ。
遊びたい時にきちんと我慢をして頑張った人には
それ相当の道が開けているものだ。
羨ましいけれど
今となってはしかたがない。
その日はそんな話をして父は帰って行った。
翌日は初めての医院長回診の日だった。
自分のベッドで医院長が来るのを待つように看護婦から言われた。
私はベッド周りのカーテンを閉めてワイドショーを見ていた。
医院長が看護婦六人を引き連れてやってきた。
医院長との初対面で私のテンションは上がった。
「うわー! 男前だ! クリントン大統領に似てる!!!」
私の第一声に看護婦達がクスクスと笑った。
医院長の年齢は40代後半だろうか。
背が高くてゴルフ焼けした丹精な顔立ち。
ダンディという言葉がぴったりな印象で私は一目惚れした。
「どうですか? この病院には慣れましたか?」
医院長はおだやかな笑顔で尋ねた。
「は~い。 医院長~、退院したら食事にでも行きませんかぁ?」
私は思い切りぶりっこして言った。
「あはははは、 元気そうですね」
医院長はさわやかな笑顔でこたえた。
医院長は八代と違って女慣れしているタイプに見えた。
医院長は看護婦から私のカルテを受け取り
心理テストなどの結果を目で追いながら一人で頷いた。
「本当かっこいいですねぇ! ねぇねぇ、私を愛人にしてよ!」
私はうふっと小首を傾げ上目遣いに微笑んだ。
「あはは、何か困ったことがあれば何でも言ってくださいね
さて問診しましょう。 パジャマを脱いでもらえますか?」
私の冗談を医院長はさらっと受け流した。
「えっ~ 恥ずかしいんだけどぉ~」
私は頬を赤らめながらパジャマの前をはだけた。
医院長が聴診器を当てている間
本当に心臓がドキドキしてしまった。
「うん、問題はありませんね」
医院長は白い歯をキラっと輝かせて笑うと
隣のベッドに移って行った。
私はまた入院生活での楽しみを見つけたと思い軽く浮かれた。
その日の夜
紙コップの中の薬が一種類増えていた。
「あれ? 薬増えたの? 眠剤増やしてくれたのかな? これ何の薬?」
私は楕円形の錠剤を指で摘み前と同じ質問を看護婦にぶつけた。
「今日はちゃんと答えられますよ。
これはリーマスといって躁病の人にだすお薬です!」
看護婦は胸を張って答えた。
「まじでーーー!!! 躁病?!
私、躁病認定だ? うけるんだけど! あはははは
昼間、医院長を口説いたからかな? やってくれるね、あのクリントン!」
私は愉快になって
大笑いしながら薬を飲んだ。
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とんでもないおバカですね… 思い出すと恥ずかしい^^;