第301話 父の部屋
「まりも、こっちへ」
父は理沙と浩一を気にするようにして
すぐに私の背中を押し自室へと招きいれた。
山のような本に囲まれた父の部屋は
紙と埃のまじった懐かしい独特の匂いがする。
私は大きく息を吸い込む。
緊張が解けて心なしか身体がふっと軽くなる。
部屋を見渡して目を見張った。
父の本棚は
この数年間で私が興味を持った本の宝庫だった。
中には
実際に私が買って読んだ本も並んでいた。
フロイト、ユング、ラカンらの精神分析
歴代の哲学書、ダヴィンチやウォーフォールの美術書。
父の本は
私が読んできた本よりもずっと専門的なものが多いようだけれど
それでも私は胸がいっぱいになった。
私がまだ家にいたころは
父が何をしているのかさっぱり分かっていなかったし
父との共通の話題は皆無だったから。
「お父さん! 私ね! 本をたくさん読んだんだよ!
この本、私も持ってるよ! フロイトは特にいっぱい読んだの!」
私は今
父の世界に接触出来る自分を誇りに思った。
と同時に
私が精神分析に興味を持ったのは
もしかしたら父に近づきたい一心だったのだろうかと思い
小さな胸がキュウっと締め付けられるのを感じた。
母が遅れて三人分の麦茶をお盆にのせ部屋に入ってくる。
「まりも、座りなさい」
本棚を物色する私に父が言った。
畳の上は本や書類で座ることが出来ず
私と母は父のベッドに並んで腰掛けた。
三人が同時に溜息を吐いた。
それはたぶん『安堵』の溜息だっただろうと思う。
「何があったのか話してごらん」
父が口火を切った。
私は最初から順を追ってこの数ヶ月の出来事を
論理的に冷静に話そうと努めた。
トイレとベッド脇に隠蔽された穴を見つけたこと。
部屋が盗撮され常時監視されていたこと。
付回しや尾行、拳銃、方耳のイヤホン、俊ちゃんの殺人の告白。
「敵はね、私を自殺に追い込むつもりだったのかもしれない。
それともドラッグのせいで精神病になったと思い込ませるため。
私がおかしなことを言っているのは百も承知なのよ。
あるいは私は本当におかしいのかもしれない。
でもあれだけ異常な日常の中にいれば誰だっておかしくなるわ!
敵の狙いはまさにそこなのよ! 信じてくれる?
散々おかしな状況を作り上げて私を混乱させるの!
仙台の部屋に帰れば証拠だってある。 俊ちゃんだって証人だよ!」
「最初はただ部屋を盗撮していただけだったのかもしれない。
その事に私が気がついてから、どんどんエスカレートしていったの。
無駄のない組織だった動きをしてた。 私を追い込むためなら何だってした。
俊ちゃんは理由があって敵に操られてるんだと私は思ってる。
でも…そこのところは本当は私にもよく解らないんだ」
私は何時間も話し続けた。
父と母は相槌を打ちながら我慢強く聞いていた。
一通り私の話しが終わると父が言った。
「まりも、大変な思いをしたね。 どんなに怖かったことだろう。
もう安心しなさい。 それで、…ドラッグは何の種類をどのくらいの期間やっていたの?」
父の一声で頭に血が上る。
「そんなの関係ないじゃない! 今までいったい何を聞いていたのよっ!
ドラッグのせいだって思わせるのが敵の狙いだってわからないの?
敵はね、お父さんが精神科医だってこともちゃんと知ってるの!
それを利用しているのよ!」
私は大声をあげる。
「まりも、お父さんはおまえのことを信じてるよ。
だけど正しく状況を理解するための要素として
おまえと俊君がドラッグを使っていたならそれも知っておきたいだけなんだ」
父はそう言うけれど
私は自分が信じてもらえてないと感じて憤慨する。
「覚醒剤はもう1年以上使ってる。 昨日はLSDもやった。
だから何? 私が幻覚みて、妄想状態で、敵なんていないわけ?
盗撮も尾行も全部私の妄想? 俊ちゃんなんて実在しないとでも言いたいわけ?」
私は煽るように吐き捨てる。
「覚醒剤は毎日やっていたの?」
「そうだけど? でもドラッグは使用方法さえ間違えなければ悪いものじゃないよ!
お父さんの大好きなフロイトだってニーチェだってピカソだってビートルズだってやってたじゃない!
それについてはどう思うわけ? 文化の発展にドラッグは不可欠だったんじゃないの?」
父は私の質問には答えず
「毎日やるようになったのはいつから?」と尋ねる。
私はますます腹が立ち
もう両親のことすら信用するもんか!と
また孤独の窮地に立たされた気分になる。
「関係ないって言ってるじゃない!
私だってドラッグのせいで幻覚や妄想に陥ることくらい知ってるよ!
でもさ、もしもその人が本当に盗撮されてた場合はどうすればいいのよ!
ドラッグをしてたら、盗撮が事実だったとしても妄想だって診断されて終わり?」
「まりも、それはね、もしも現実にそういうことがあったとしても
話の仕方や、関係付けの仕方で妄想だと判断することがよくあるんだよ。
例えば、嫉妬妄想っていうのがある。
旦那さんが本当に浮気をしていても、その事実は関係なく患者さんの話の内容で
嫉妬妄想だという診断が降りる場合もあるんだよ。 意味はわかる?」
「だったら! 私の話はどうなのよ!
私の仙台での出来事は全部妄想? 記憶が作りかえられてるとでも?」
「まりも、おまえは精神病なんかじゃないんだよ?
ドラッグをやれば誰でもそうなる。 ドラッグの効用なんだから。
だから何の心配もいらない。 理由がわかっているんだからね?
もし違うと証明したいなら精神病院で診断してもらえばいい。
おまえが行きたくなければ行かなくていい。 選択はおまえに任せるよ」
私は茫然とした。
父は私を精神病院に入れようとしているのだろうか?
まさか
父や母も敵に取り込まれているのでは?
例えば敵に
理沙や浩一を殺すと脅されているとか?
私の不祥事を敵が父の病院にバラされれば
父の社会的信用は地に落ちて一家は終わり?
両親は家族全体を守るために
私をある種犠牲にすることで敵と手打ちしているのでは?!
一気に疑惑が噴出して
私は両親に対して疑心暗鬼になった。
これでは仙台に居たときと何も変わらない。
私は一人ぼっちだ。 どうすればいいの!
「そうだ! 俊ちゃんに電話しなくちゃ!」
私は父のデスクから
電話の子機を取りダイヤルした。
コールがまだ鳴らないうちに俊ちゃんが出た。
「俊ちゃん!!! 大丈夫?! 私実家に帰ってきたよ!」
「うん、俺心配で警察にも電話いれたのや。
そしたら親が向かえにくることになってるって言われたからやぁ
今日は心配で仕事も休んだ」
俊ちゃんの声を聞き感情が暴発した。
「俊ちゃん無事だったのね! 良かった!
ねぇ、逢いたいよ! 明日やっぱり仙台に行くわ!」
私の心はもう決まっていた。
涙が止め処なく溢れた。
「まりも、それはダメだ!
ちょっと俊君に電話かわりなさい!」
慌てた父が私から受話器を奪った。
両親がどう言おうが私は俊ちゃんと一緒にいる。
止めたって無駄だ。
「もしもし、俊君、まりもの父です。はじめまして。
まりもがどうしても俊君に逢いたいみたいなんだが
この状態でそちらに帰すわけにはいかない。
君は東京に来られるの?」
父は私の行動を先読みして
俊ちゃんを東京に呼び寄せる段取りをつけた。
俊ちゃんは翌日
東京に来る約束をしてくれた。
父が渋い顔で電話を切る。
母が涙ぐんでオロオロとしている。
きっと私が
また家を飛び出すんじゃないかと不安だったのだろう。
明日まで我慢すれば俊ちゃんに逢える。
仙台じゃない場所で二人きりになれれば
俊ちゃんは今まで隠していた秘密を話してくれるかもしれない。
そう思った瞬間
また嫌な考えが頭を過ぎり急に不安になった。
「お父さん…
もしかしたら… これも計画のうちなんじゃないかな…
俊ちゃんをここに呼んだら
うちに盗聴器や盗撮器具を取り付けられるよね?
そしたらもう実家も安心できなくなるわ…。
俊ちゃんが最後の仕事をするためにうちに来るんだとしたら…
敵が俊ちゃん一人をやすやすここに来させるわけがないもの!
ねぇ? そうでしょう?!」
私の疑心暗鬼は留まることを知らなかった。
子供の夏休み終わったので更新ペースあげていきます!
挨拶文にコメントたくさん本当にどうもありがとぉ。
あとコメント欄開放は挨拶文のみでw ごめーん! 説明不足だったネ。
更新は週2,3本目標で! 加速してくよぉん!
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