援助交際についての私の考察 | らぶどろっぷ【元AV嬢の私小説】

援助交際についての私の考察

みかさん、あゆかさんへ。

コメントありがとうございます。


「援助交際してなんでいけないの?」


とても重要な質問だと感じましたので

コメントの返信を別枠でとらせてもらいました。


かなり長い文章になりましたが、良かったら読んでみてください。


まず私は、援助交際は『やってはいけないこと』だとは思っていないし、そうも言っていません。

それは誤解しないでもらいたい。


『今の若い子達に対して、私が個人的に、してもらいたくないことの一つとして、援助交際がある』

というだけのことです。


でも私の基本的なスタンスは

「したいのならすればいい!」です。



「なぜ援助交際をしてはいけないの?」


この問いは「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いと同じようなもので

誰もが納得できる答えなんて存在しないと私は思っています。


「なぜ人を殺してはいけないのか?」


この問いに道徳や良心をもちだして答える人は多いと思う。


「自分自身や、愛する人がされて嫌なことはしてはいけない。」

こんな風に答える人も多いと思う。


でも私は、それは答えになっていないと思う。


だいたい、道徳心や良心というのは後天的に取得する種類のもので個人差があるものだから。


当時の私みたいに

全くといっていいほど良心の呵責を感じないサイコな人間も世の中にはけっこういると思う。


「自分が殺されたら嫌でしょう?」

というのも、自分の生を肯定している人に対しての限定された問いだと思うし

そもそも

「自分や愛している人が殺されるのは嫌だけど、だからってどうして私が人を殺してはいけないのか?」

という新たな問いを生み出すことは否めない。


これは別に私の持論ではなくて

たしかニーチェとかそのへんの哲学者が言っていたことだったような気がする。

(誰だったか正確に覚えてないから間違ってたらごめんなさぃ。)


「援助交際」についても同じようなことが言えるよね。


自分の体じゃん、どう使おうが私のかってでしょ!

資本主義のこの国は、需要と供給のバランスで成り立っているんだから!

買いたい男がいるんだからいいじゃなぃ。押し売りしてるわけでもあるまいし!


若い女の体にはそれはそれは価値がある!それを利用して何が悪い?

誰にも迷惑かけてないよ! 自己責任でやればいいんでしょ?


さて

「援助交際したら、どうしてだめなの~?」

このコメントをくれた二人が、果たしてここまで突き詰めて考えた事があるかどうかは

わからないけれど、私は考えていたよ。


そして当時の私は、この理論に一縷の疑いも持たず

なんの罪悪感も感じることなく5万円もらえれば誰にでも体を売っていたわけだ。


きっかけはシャネルのピアスがどうしても欲しかったから。


体を売るってのは絶対に理由はお金であってそれ意外はないはずだよね?


億万長者のセレブが売春するなんて話は聞いたことがないし。

金をもらうわけではなく刹那的に遊びのSEXをするってのは

また別の話だと思うから、ここでは触れない。


だから売春する子はお金が欲しいわけだ。


親の借金のため、兄弟の学費のため、留学の資金が欲しい、マンションの頭金を貯めたい、離婚して子供を育てていくため・・・

欲しいものがある、いい暮らしがしたい、いっぱい遊びたい、好きな人がホストで店に通いたい、好きなバンドのオッカケがしたい・・・


エトセトラ・・・


こういう直接的な目的があって

覚悟を決めて自分の体を売るんだ。


はじめて体を売る時には

誰だって相当の覚悟と決断があるはずだよね?


友達がやってたからなんとなく・・・

理由はないけど状況に流されて・・・

って子も中にはいるのかももしれないけど少数だろう。


気持ちいいから体を売るの♪

って子がもしもいるとしたら、ごめん、それは私には理解できない事だ。

これは完全にマイノリティで例外に当たると思う。


私が、理由にこだわるのは

売春という行為をした自分に対する認識が、それによって大きく変わってくるから。


もしも親の借金のため、子供を育てていくためにやむなく体をお金に変える。

それ以外の方法はないといった場合。

そういった理由で風俗で働くなり、援助交際をしている子は

自分の誇りを保つことが出来るはずで

その時は不幸ではあるけれど幸せになれる可能性があると私は思う。


しかし残念なことに

物欲、私欲のために体を売る。

ほとんどの女の子はこっち側だと思う。


もちろん私もそうだった。


手っ取り早く大金稼げてラッキー♪へっへっへ

くらいにしか思っていなかった。


生でやられそうになったり、タダ乗りされたりと

それなりに痛い目もみて悔しい思いもしたけどね。


それでも

自分の体を大切にすることなんかより

欲しいものを手にいれることのほうがよっぽど優先順位が高かった。


欲しいものを我慢できない、それも今すぐに手に入れたい

とにかく飢餓感で一杯だったから

それを満たすためには自分の体なんてささいなもの

いくらだって差し出せたわけ。


ただね、

理由は確かにお金かもしれないけれど、

実は本当は他に原因があるのだと私は分析している。


それは

もうこの時点ですでに

自己破壊的な無意識に自分が操られているんだということ。


援助交際でも風俗でもいいけど

そういう一線を乗り越えた子というのは

自分は普通の子とは違うという認識を持った方がいい。


少し乱暴で独断的な言い方をさせてもらうと

もう自分の精神は病んでいると思って間違いないと思う。


病んだ精神側にいる私達は

『するか?しないか?」という選択がスタートラインになっていると思うんだけど

健康な精神を持つ人はきっと

「できるか?できないか?」という問題なのだ。

そしてそれはもちろん出来ないことなのだ。


ちょっと難しいかな・・・。

うまく表現できないのでニュアンスだけでも汲み取ってくれるとうれしい。


あ、これは売春を継続して繰り返す子のことね。

一度、二度、興味本位や理由付きでやってしまった子には当てはまらないかもしれない。




で、ここからは

本当は『らぶどろっぷ』でこの先に書こうと思っていることを

少し先取りして書かせてもらうね。


人間には絶対に内なる道徳律というものが存在している。


それは意識に浮上した時点で、自分なりの道徳心や良心として確立されていくわけだけど

それがまだ意識されていない時、つまり無意識の側に抑圧されている間でも

実はそれはちゃんと存在しているのだと私は思う。


そして抑圧されたそれらは

無意識の側から必ず攻撃をしかけてくる。


良心を抑圧し続ける限り

無意識はどんどん自己破壊的になっていく。


少しでも自分が弱った時なんかにその牙を剥く。

自分に罰を与えるという形で現れることが多いように思う。


自分でも

つじつまの合わないようなとんでもない行動をとって

困ったことになったりする。


好きでもない男と簡単に寝たり

避妊もしないでSEXしたり

中絶を繰り返したりする。


ホストに通いつめたり

その金欲しさにソープ嬢になったりする。

ドラッグに溺れたりもする。


男性不信になる子も多いだろう。

そうすると本当に好きな男が出来た時に

その彼とのSEXでも何も感じなくなったりする。


SEXの行為自体に嫌悪感があって

それも無意識に抑圧している。


肉体が快楽を覚えない。

倒錯行為やドラックに頼ったSEXをするようになる。


それらを多くの人は

自堕落でいいかげんで

すき放題やっていると最低の人間だと思うみたいだけど

私はそうは思わない。



どれも立派な自傷行為じゃないか!


そして

とうとう本当にリストカットをしたり

摂食障害になったりする。


自分のことを好きになれない。

恋愛関係を持ったとしても

こんな自分を好きになるような男は信じられない。


誰のことも信じることが出来ない。


いつも人を試すようなことばかりしてしまう。

際限ない愛情を求めてしまう。


そんなことばかりしているから

相手に負担がかかってしまうわけで

結果的に関係が継続しない。


一人になると

また現実逃避のために如何わしい場所に出入りしはじめる。


などなど・・・。


上に書いたようなことは

ちょっと極端な喩え話だけど

とにかく、 そういった悪循環に陥っていくわけ。


無限のループですよ。


援助交際はね

援助交際だけではすまなくなるの!

それはほんの入り口にすぎないんだよ!


それを私は身をもって知ったんだ。

自己破壊的な無意識ってのは

それは様々な自分の機能に複雑に絡み合って

全ての生活に影響を及ぼしていく。


つまり絶対に幸せになれない。


もっともっと深い闇に落ちていく。


もちろんそれはその時には本人に意識されていないから

当人も好き勝手やってるとしか思っていないんだけどね。


でも

心は声なき悲鳴を上げている。


確実に傷ついている。

それに気がつけないだけなんだ。



売春をするキッカケはささいな事であっても

一度やってしまうと慣れてしまう

なんてことないってどんどん麻痺していくから

やめるためには相当に大きな理由を必要とするようになる。


何かのキッカケで一度はやめても

またすぐにそこに戻っていくことになる。



自分がめいいっぱい傷ついていることを

いつ自覚するのか?

これは傷が深ければ深いほど目を背け続けてしまうわけで


出口がない。

本当に出口がないんだ。


でもね

必ずくるよ。


そういう人生を送ってきた人はね

絶対に自分と向き合わなければならない時がくるんだよ。


それも一人きりで

それと向き合うしかないんだ。


向き合わないで生きていけるのは

実はぬるま湯につかって日々生活に追われている多くの一般人の方。


そういう人は自分と向き合う必要性をあまり感じないからね。


どっちがいいかは私にはわからない。


でもきちんと自分に向き合って

その壁と乗り越えた人は、その先、価値のある人生を生きていけるようになると思う。



ああ・・・

途中からかなり感情的になってしまって

言いたいことがすいぶんよれてしまった。


こうやって書いてはみたけれど

この手の話は、こういった理屈を並べても意味がないのは百も承知。


残念だけど、この文章を読んで

援助交際を止める子はまずいないだろう。


それはレストランのメニューを見て腹が膨らまないのや

精神分析の本をいくら読んでも症状がなくなるわけでないのと同じなんだよね。


だからこうやって理屈で説き伏せるよりも

「らぶどろっぷ」を最後まで読んでもらった方がいいんだと思う。


てかね、実は二人のコメントも単なる煽りかなぁ~って思ったり

別にここまで真剣な話を求めてるわけじゃないかもなって思ったりもしたんだよね。


でもそれでも

私が一生懸命答えたのにはわけがあるんだ。




それは

君達はあの頃の私だから。




私はあの頃の自分の質問に答えただけなんだ。