丘先生の奥様は、先生の死後、悲しみの中、お身体の具合が悪くなっています。
奥様は、長年、病弱な先生を支えられ、妻として、母として、また先生のマネージャーとして、先生と共に二人三脚で、過ごしてこられました。。。
そんな先生が昨年他界され・・・奥様はまだまだ。。悲しみの心とお身体。。。
回復をされておりません。。。。
奥様は古くからの当店のお客様でしたが、私が接客するのは、
先日のご来店の時が(多分)始めてでした。
奥様から・・・・昨日私にお電話がかかり、「主人との思い出の毛皮もあり、それを直すと言う気持ちになり、
少しでもお洒落心が残ってましたので、快方に向かっているかと、嬉しくなりました。」とおっしゃられたのを
お聞きし。。。とても嬉しく。。。。
電話口で。。。声が詰まって。。。しまいました。
奥様のお心の支えに少しでもなれれば。。と思いました。
また、私の仕事が。。奥様のお心を盛り立て・・
・・お身体の回復に少しでもお役に立てれば・・・この上ない喜びと存じます。
昨日、お電話でブログの件もお話し、本日奥様から届きました、お名刺を添えられた、お手紙と、
2010年7月3日の朝日新聞Be on Saturday(奥様が送ってくださいました)
に掲載されました昭和の日本人の心に多くの感動を与えた
丘先生の素晴らしい功績を讃えるとともに、
深く追悼の意を表し、本日此処に記させて頂きたいと存じます。
1949年:コロンビア専属の作詞家となる
:「高原列車は行く」
11957年:「東京のバスガール」
1963年:舟木和夫デビュー曲 「高校3年生」レコード大賞作詞賞受賞
「山のロザリア」「カチューシャ」など外国民謡の訳詩も多く、活動は幅広く、
2000曲以上の動揺やアニメ主題歌で、「ねこふんじゃった」や
「みなしごハッチ」 橋由紀夫・吉永さゆり様「いつでも夢を」 西郷輝彦様「君だけを」
今後は奥様のご病気のご回復また、お心の支えの一助となるよう、
真心を込めて・・・お相手させて頂きます。。。
合掌
奥様のお手紙には。。 「二輪車が一輪車になって、バランスを崩してしまいましたが、
少しでもお洒落心が残ってましたので、快方に向かっているかと・・・・」
と書かれており、
とても嬉しく、光栄でございます。。。。
PS:智恵子抄:母は千恵子という名前で安達太良山の近くで生まれ、
この歌を良く、歌っておりました。また涙が溢れてしまいました。