この間、さいとーくんが神様に教えてもらったことを話してもらいました。

「もったいない」

という言葉は「持った意味がない」という意味なんだよ、と。
失くしてしまって「もったいない」余ってしまって「もったいない」
持った意味を考えなさい、持った意味を自分で考えられないから「持った意味がない」でしょう
というような話で、なるほどなと思ったのですが
その話の後に、ちょっとテレビを観て色々考えていたのです。

お肉のフェスティバルのレポートだったんだですが、その画面の端に
けっこう捨てられたごみがちょっと映ってた。
ぼんやりと「何匹かの牛とか豚の命が、無駄にされてるんだなぁ」と思ったときに
「もったいないなぁ」と思ったのです。

昔はお肉って、すごく特別な時に食べるものだったなぁって思ったのです。
ワタシの年(昭和44年生まれ)だと、
お父さんのお給料日に「今日はビフテキよ!」みたいなことがあって
わーい!今日はお肉だ!って特別なご馳走だった。
トンカツとかも、ちょっと元気を出すために奮発するか!って日に食べるものだった。
今は、お肉って「娯楽」になっているように感じる。
元気になるために食べるのもっていうよりは、楽しむために食べるもの、になっているように思う。

お肉が好き!って話になる方に多く思うことが自己評価が低い。
自分なんて生きてても仕方がない、と思う方が多い。

ところで、何故、神様とか仏様とかお肉を食べないのか。
穢れがあるから、と言いますが、何が一番の穢れなのか。
それは「死ぬ恐怖」という魂の持つ強烈なネガティブな記憶だと聞いたことがあります。
それを身のうちに取り込みつづけると、穢れが積まれてします。
穢れに引っ張られると、そのエネルギーに似た思考になりやすいと思います。
殺されることを前提に育てられた生き物のネガティブな思考
「自分(の魂)は、なくてもいい」「自分(の魂)に価値がない」

なんとなく、なんですが、自分の身を軽んじてる人は、食べ物も軽んじることが多い気がする。
特にお肉。
お肉大事に食べない、感謝して食べない人は、
自分を粗末にしてしまうことが多いように思う。

そんなことを思って、さいとーくんに話したら
「命の価値が下がっているのかもしれないね」と言われました。
「自分なんてこんな程度だと、自分の価値を下げるから、
自分の命をつむいでくれるお肉へも価値を見出せず粗末に扱ってしまうのかもね。
動物たちに感謝をして、このお肉が自分のために、命を投げ出してくれたから
今の自分があるのだと思えば、自分をぞんざいに扱うことなどしないかもね」

そうかもね。
自分の命のためにあった命に感謝の心があれば
自分を「こんな自分なんて」なんていう、もったいないことはしないのかもしれない。

もったいない、なんてことを言わず、持てる意味を考えていくことが出来る世の中になればいいな
とか、思ったりします。

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