◇ 今日は 「癌告知」 された日 | 忘 日 庵

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薀蓄嫌いの愛飲家であり提供者 の 気ままな 雑記&備忘録です。

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3年前の今日(2007年1月5日) は、癌を告知された日。


正月明けのこと。あれから3回目のお正月。そして今日。いまだにあの日のことは忘れられない。

独立開業が私にとっての人生の転換期であったが、3ヶ月後の癌告知は更に新たな人生のスタートとなった。


翌年、mixiにそのことを回顧録として綴った。文章の苦手な私が一気に書き上げた。

今、mixiからすっかり離れておりいずれ辞めるかもしれないので、こちらに備忘録として写しておこうと思う。



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一年前の今日 「癌告知」   2008年01月05日22:40


 ( 特に今日は自分のための回顧録なので、長文です。)


がん宣告 ―― 去年の今日だった。


独立開店して3ヶ月、予想以上の手ごたえに、よしやれそうだぞと思った矢先。

自覚症状などまったくなく、それこそ青天の霹靂であった。


告知されると、普通動揺して説明された内容をよく覚えていない人が多いらしい。

私は聞いた瞬間、 「それは困る。オペはどういう方法か」 「入院期間は?」
「何日後に仕事復帰可能か?」 「後遺症は?」 「費用は?」 etc… たんたんと質問した。

院長、思わず、「あのねぇ、あなた、まずは病気をなおすことを考えましょうよ。」

 

後日その医院の事務長から聞いた話だが、その女性院長が
「自営業って、一人で仕事しょってる人って反応が違うわね。院長として私自身考えさせられた…」 と、

一人で結果を聞きに来た私の事で話題になったそうだ。


だって、当たり前でしょう! 取り乱す暇なんかない!
「借金どうしよう!」 が一番最初にうかんだこと。

 

病院からの帰り道では、一通りありとあらゆることを想定し、
そして休業するまでに向けての段取りを計画していた。


今思うと凄い日々だった。一切顔に出さず、いつもどおり営業。
日中、自己血の採取やら手術に向けてのあらゆる検査のため何度も通院し、その足で店に行き営業した。

400CCもの採血の後の営業はしんどかった。
でも病院が近くてよかった。何より優秀で良い主治医に恵まれた。刻一刻と日々が進んだ。


いよいよ入院2週間近く前の2月初旬、常連さんに公表し休業することを知らせた。
「桜の咲く頃には帰ってきます、一緒に花見をしましょう」

 

翌日から一週間にわたって毎晩いろんな人が来てくれた。
手術に向け体力を消耗したくなかったのだが、とんでもなかった。忙しくてぼろぼろだった。
毎晩、皆が帰った後の店で私は疲れ果てて呆然としていた。でも嬉しかった。
最後の日、常連さんが私のために歌を歌ってくれた。今でも忘れられない。


人のありがたみ を しみじみ感じた。
店にいけなかったという人からはメールが届いた。こられない人の思いが伝わる。
人それぞれの方法で気遣ってくれた。こんな時人の本当の優しさや性格がわかる。

 

そして皆の励ましをうけ閉店、看板の灯りを消した。。入院5日前のことだった。

 

店の冷蔵庫のものを処分し掃除をおえ、一人ぽつんとカウンターの客席側に座った。
自分の築き上げたお城を見回した。
お客さんのざわめき・笑い声・たばこの煙・ウイスキーの香り・ワインの香り・・・


すーっと 涙が出てきて どうしようもなくなった。
こらえにこらえていた涙が もう この日はとまらなかった。声も出ず、ただただずっと。

 

『無念』 というのはこういうことか と 思った。開店してたった3ヶ月。これからという時。
つらいとか悲しいとかではない。ただただ 無念 だった。。



7時間近くに及ぶ手術(麻酔等の前後処置を含むと8時間)は成功。

麻酔から覚めさせるためのナースの声、 「○○さん、終わりましたよ、大丈夫ですよ!」

聞いた瞬間、目を開け執刀医やスタッフに「ありがとうございました」 と声をだして言った。
皆が振り返ってにっこり。準備していた言葉ではなく、勝手に口をついて出たのだ。
その瞬間自然に涙が流れた。 「終わった・・・」


オペの翌日には歩行訓練。ナースが鬼に見える日だと皆が言う。
歯を食い縛ってなんと廊下一周できた。ナースが「あれぇ~!あなた昨日の人だよね!!」
1週間後、24針(ホッチキス)の抜鋼(抜糸ではない)後は痛くて固まっていた。


まだ安心ではなかった。 10日後に細胞検査の結果がでた。
7時間近くの手術には、骨盤内リンパ節郭清が含まれている。
提出されたリンパ節34個に腫瘍の転移は一つもないことが判った。
転移していなかった!


--- ようやくその日、私は 「癌患者」 ではなくなった ---

 

抗がん剤治療からも放射線治療からも免れた。ああ、店に戻れる と思った。


順調かと思った。が、予想に反して後遺症があり、1ヶ月の入院となった。
この時悟った。日頃の体力とか気合とか免疫力とかイメージトレーニングとか、、、
人間にはそれだけではどうにもならないことがあるということ。

  

気が強く頑張り屋で前向きなはずだったが、自力ではどうしようもないことを悟った。

そして 「うつ」 になった。これはもう経験者にしかわからないだろう。
この私が!? というほどありえないことだった。 でも なった。。

  

すべての見舞いを断った。誰にも会いたくなかった。話すこともおっくうになった。
まめだったメールも打てなくなり、入院時から日々の様子を細かくぎっしりと記していた日記が突然かけなくなった。


よく 『頑張って』 という言葉が使われる。
友人は「頑張らないで」と言ってくれた。だって今まで人生十分頑張ってきたんだもの!
こんな時くらい頑張らずに、医者を信じ神を信じ(無宗派だが)自分を信じよう。

 

機能回復とともに、気分も明るくなった。
退院後も少しはひきずっていたが、時間が解決してくれているようだ。
周りはこんな時、何も言わないほうがいいということを知った。 解放が必要。


退院してからがきつかった! 病院は楽だった。
結局仕事復帰したのは約1,5ヶ月後。計3ヶ月休んだ。花見はできなかった・・・。


医者は、もとに戻るのは少なくとも1年。完全には3年くらいかかるといった。
今その意味がよくわかる。今だからいえるが、復帰してからは本当にしんどくてたまらなかった。

 

7月から毎月1キロずつ体重が減った。怖くなった。転移・再発したのか・・・。
どんなにダイエットしても痩せない体質だったのに。
事務職ならそうでもなかったんだろうが、一人での営業・立ち仕事はきつかった。
ようやく11月になり体重も下げ止まり。今は戻りつつある。


入院中同じような手術をした人といっぱい仲良くなった。今でもメールや電話がある。
『がんとも(癌友)』 といっている。そのうちの何人かが再入院した。見舞いにいった。つらい。
明日はわが身? と思うこともあるが、確率の少ないことでいちいち悩まないことにしている。
だって再入院している人に申し訳ないもの。彼女達の分まで元気でいることに努めなくては。


今は毎月1回、腫瘍マーカーと細胞検査のために通院している。
1年目頃からは2ヶ月に1回位に減っていくと思っていたら、
一応約3年間は毎月来てもらう予定だ と、先日言われた。ありゃりゃ、、
ま、それで自分の身体のことがわかるなら、なんてことない。


術後10ヶ月経った今、神様に感謝。そして何より皆に感謝! 私は元気!
美味しいものを美味しいといって楽しく食べられる時間は、何より人を元気にしてくれる。
精神の安定なくして肉体の健康はないだろう。


こうやって「自宅で」 「元気に」 年の初めを迎えられて 本当に幸せだ。

再発・転移と戦っておられる方からは、これしきの事といわれるかもしれない。 

でも私なりの 「己との戦い」 だったんだ。。


『感謝』 と 『思いやりの心』 を忘れないで 生きていきたい。
病棟で出会った人達(ドクター・ナース・癌友)のためにも、
支えてくれた友人や多くのお客様たちのためにも! そして自分を大切にしよう。



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(そして昨年、それを更に振り返って書いたコメント↓)



わが人生の記念日 : 1月5日


今後の 「己の生き方」 をはっきりとみつめ、猛然とスタートしたのが2年前の今日。

今思うと、凄い一日だった。 よくもまぁ通常営業したもんだ。

時間を大切に生きていかねばと 新たに自分にいいきかせ今日を迎えている。


・・・ 思うこと多々あり

 

大切なのは 時 & 人と人の情 & 自分と自分の素直な心 ..


いかに前を向くか、向けない時どうするか、 どう 動くか。



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以上、過去のmixi日記からの複写でした。
3年目の今日、何か書きたいのだけれど、、、 やっぱだめですね、文筆家の方がうらやましい。


今日から2010年の営業が始まります。 準備で忙しいので、後日改めて何か書ければ と思います。