歴代高松藩主を勘違いしていた | Marcy's Blog

歴代高松藩主を勘違いしていた

僕は、香川県を訪れた友達なんかに、高松市内を案内するとき、
水戸黄門の子孫が「まちづくり」したんだよと、説明していた…
しかし、ある文献を見てたら、それが間違いであることに気が付いた☆
歴代の高松藩主は、水戸黄門の弟の子孫が中心だったのだ!!!

水戸藩と高松藩の歴代藩主系図■

















 















 

















 





 


















 







































 


















 











 




















 














 


















 












 


















 















 

















 











 



















 










 



















 

○○ 征夷大将軍
○○ 水戸藩主
○○ 高松藩主

徳川御三家を、自分が継ぐのは長子相続に反するとして、
兄の子を水戸藩主とし、自分の子を高松藩主としたのは有名だが、
水戸黄門には孫が生まれずに、3代目の高松藩主は頼豊公となっていたのだ!
この頼豊公は、名君としても有名で、水戸藩の世継ぎも頼豊公の子孫だし、
徳川幕府15代将軍の慶喜公も、頼豊公の子孫ということになる!!!

やはり、適当な記憶では「歴史」は語れず、文献を紐解くことも大切だ!