1988年F1日本GP公式プログラム | Marcy's Blog

1988年F1日本GP公式プログラム

映画のパンフレットの紹介ばかりが続いてるので、
ここいらで少しだけ趣向を変えて、F1です!!
昨日、ブラジルGPが終了し、新たなるチャンピオンも誕生しましたが、
1988年は、アイルトン・セナが、始めてチャンピオンになった年であり、
その年の日本グランプリで優勝し、チャンピオンを決定付けた時でした。

アイルトン・セナ・ダ・シルバ(Ayrton Senna da Silva)は、
唯一の、史上最速のF1ドライバー、史上最高のF1ドライバーである。
↑注記)Wikipediaより◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 イギリスのF1 Racing誌(2007年2月号)は、史上最速のF1ドライバーとしてアイルトン・セナを選出した。同誌は、FIAのマックス・モズレー会長、当時のフェラーリチーム代表のジャン・トッド、元チャンピオンのケケ・ロズベルグ、元チームオーナーのエディ・ジョーダンなどのF1界を代表する有識者(28人)に投票を依頼し、最速ドライバー歴代50傑を決定した。セナはミハエル・シューマッハを抑えてランキング1位になった。3位はジム・クラーク。
 イギリスのF1 Racing誌(2008年6月号)において「史上最高のドライバートップ100ランキング」が掲載され、1位にアイルトン・セナを選出した。これは同誌のリーダーパネル会員の数千におよぶ投票で決定されたもので、2位はミハエル・シューマッハ、3位にファン・マヌエル・ファンジオ。

では、今回は60年のF1の歴史のなかで、最も重要なレースであった、
1988年日本グランプリの公式プログラムを紹介しよう!
F1GPのプログラムについては、20年前のものであっても、
保存してる方も多いだろうと思って、ここでは紹介していなかったが、
今回は、新たなチャンピオン、ジェンソン・バトンに敬意を表して特別掲載だ(笑)

Marcy's Blog-日本GP公式プログラム表紙
Marcy's Blog-日本GP公式プログラム(マクラーレン)
アイルトン・セナは、当時28歳であった。
前戦のスペインGPまでで、優勝13回、ポール・ポジション27回の記録であったが、
すでに、誰疑うことのない“天才”の名をほしいままにしていた…
では、公式プログラムのなかで、興味深いページがあったので紹介する。
下の2枚の写真ともに全面広告のページなのだが、ひとつはエプソンだ。
当時、パソコンとかは一般には出回っていない時代で、
オフィスには、ワープロが置かれ始めていた時代であり、
たまにワーク・ステーション(パソコンの初期的な機器)があり、
ソノシートのようなペラペラのフロッピーが使用されていた時代でもある。
もう1枚は、若きセナの写真だが、右の見開きにはプロストが微笑んで写っている。
その年から、数年間の出来事を考えれば、ありえないツーショットであった…

Marcy's Blog-日本GP公式プログラム(エプソン)
Marcy's Blog-日本GP公式プログラム(SHELL)
なお、エプソンの広告は3ページ目に掲載され、
昭和シェル石油の広告は、最終ページでの掲載である。
最後は、中綴じのシールである。
このシールの説明書きでは…
予選順位に従ってP.56のスターティング・グリッドに貼ると、
決勝レースがより楽しめます。と、ある( ´艸`)
誰が、そんなことをするだろうか!?
大切な大切な、公式プログラムである!
10万人いた観客のなかでも、僕はそんなことをしてる人を見なかった(笑)
Marcy's Blog-日本GP公式プログラム(シール)