愛国から幸福へ♪
上の切符は、お土産でもお守りでもありません。正真正銘、実際に使用された旧国鉄の切符です。
日付は、昭和52年7月13日。国鉄広尾線の愛国駅に降り立ち、上の切符を購入し、はさみを入れてもらいました。
現在の人には、北海道に住まわれてる方でもピンとこないと思います。当然でしょう。国鉄広尾線は、帯広駅から襟裳岬に向かって南下していた路線で、途中の広尾駅まで続いていました。当時は、まだ愛国駅は無人駅ではなかったのです。しかし、広尾線は1987年(昭和62年)に廃止されています。
下の写真は、旧国鉄の幸福駅です。当時は国鉄マニアでもあったので、周遊券を片手に主に各駅停車の列車に乗って、日本国中を旅していました。そして、そんな駅の看板を写真に撮るだけで満足していたのです。
お気付きだと思いますが、不届きな輩は当時からいたもので、相合傘マークに「マサオ」と「誓子」の落書きが見て取れます。画像編集ソフトで消そうかとも思いましたが、あえて残します。実際に列車が走っていた時の、実際の駅名標ですから、今はないでしょうが、この二人がその後、幸せになったなどとは誰も思わないでしょう。
そして、下の写真は帯広駅です。JR根室本線は現在でもありますから、この帯広駅はどんなふうに変わってるのかなぁとも思いますが、30年以上前の駅舎ですネ♪
僕の好きな場所シリーズは、しばらく北海道が続きます。これまで、5回ほど旅行したことがありますが、やっぱり長野県の高原でも北海道の雄大さには敵いません。南国育ちの私ですので、なかなか北海道に行くことはできませんでしたが、やっぱり北海道の雄大さには惚れ惚れとしますネ♪
そんな折、ブログ用の写真を物色していると、下の写真を見つけました!北の国在住のアメブロ友達のブログで良く似た風景を見たばかりだったので、感激してしまいました♪
それが、下の写真です。
昔っから、私はこんな風景が好きだったんです!これも32年前の写真ですが、帯広駅の北東5kmほど、十勝川の北側の丘陵地帯です。
日付は、昭和52年7月13日。国鉄広尾線の愛国駅に降り立ち、上の切符を購入し、はさみを入れてもらいました。
現在の人には、北海道に住まわれてる方でもピンとこないと思います。当然でしょう。国鉄広尾線は、帯広駅から襟裳岬に向かって南下していた路線で、途中の広尾駅まで続いていました。当時は、まだ愛国駅は無人駅ではなかったのです。しかし、広尾線は1987年(昭和62年)に廃止されています。
下の写真は、旧国鉄の幸福駅です。当時は国鉄マニアでもあったので、周遊券を片手に主に各駅停車の列車に乗って、日本国中を旅していました。そして、そんな駅の看板を写真に撮るだけで満足していたのです。
お気付きだと思いますが、不届きな輩は当時からいたもので、相合傘マークに「マサオ」と「誓子」の落書きが見て取れます。画像編集ソフトで消そうかとも思いましたが、あえて残します。実際に列車が走っていた時の、実際の駅名標ですから、今はないでしょうが、この二人がその後、幸せになったなどとは誰も思わないでしょう。
そして、下の写真は帯広駅です。JR根室本線は現在でもありますから、この帯広駅はどんなふうに変わってるのかなぁとも思いますが、30年以上前の駅舎ですネ♪
僕の好きな場所シリーズは、しばらく北海道が続きます。これまで、5回ほど旅行したことがありますが、やっぱり長野県の高原でも北海道の雄大さには敵いません。南国育ちの私ですので、なかなか北海道に行くことはできませんでしたが、やっぱり北海道の雄大さには惚れ惚れとしますネ♪
そんな折、ブログ用の写真を物色していると、下の写真を見つけました!北の国在住のアメブロ友達のブログで良く似た風景を見たばかりだったので、感激してしまいました♪
それが、下の写真です。
昔っから、私はこんな風景が好きだったんです!これも32年前の写真ですが、帯広駅の北東5kmほど、十勝川の北側の丘陵地帯です。