昨日、ブログを読んでくれている友達から
「最近は〝六龍”ばっかりだね」 って言われ
「はい!ど~っぷりハマっちゃって」・・・私 (笑)
でも、あの続きは?? って
そうでした、そうでした~~笑 書きかけて忘れてました
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今もBSで放送中の ≪正祖イサン≫ 朝鮮王朝第22代王
あの世宗大王と並び 〝聖君”と称される 「イサン」
正祖の御眞(王の肖像画)
生前沢山の〝御眞”を描かせたという正祖ですが、数々の戦の中で焼失され、
残念ながら (正祖の物は)一枚も現存せず。これは、1989年に、実録に記載
されている正祖の風貌の様子から想像して描かれた追写(チュサ)と言われる物です。
二重あごで鼻筋にょっきりの男らしい風貌だったようで、他にも一枚「えっ!」と
なるような〝挿絵”も残されて居ますが・・・あまりにもガッカリなので
載せるのをやめておきますね~~~
お口直し・・・ではなく、〝お目め直し” (笑)
ドラマ「イサン」の ≪イ・ソジンssi 正祖≫ です
この≪正祖イサン≫の 〝聖君である理由”が こんな所から繋がる気がします。
ドラマ≪華政≫ 視聴の皆様 どうぞご一緒に 〝ご検証” 下さいませ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
スカパー!KNTV での ドラマ≪華政≫ 日本初放送
(ドラマ「華政」最終話より)
善政をすすめるため動き始めた王(孝宗)は 洪柱元父子に高い位を用意し
公主にも「傍で協力して欲しい」と望みますが 。。。
柱元父子もこれを辞退し、公主は〝自分の居るべき場所”へと戻ります。
とても感動的な 終わり方 ・・・でしたね。
ドラマは ここで でしたが 。。。
皆様 ≪気になりませんか≫ その後の事
洪柱元と貞明公主 のその後は こんな人に繋がって行くのです。
以前 書いたことがあるのですが 。。。
この二人の 素敵な姿からもう一度 今回は≪その後≫ を追って
検証してみたいと思います
14代王宣祖の唯一の嫡女〝貞明公主” 駙馬(王の娘婿)〝永安尉 洪柱元”
仁祖実録 1623年(仁祖1)9月26日 1番目の記事
貞明公主を洪霙の息子である洪柱元へ下嫁させる。
〝貞明公主” (1603.陰5.19生~1685.陰8.10没)
駙馬(王の娘婿)〝永安尉 洪柱元” (1606生?~1672.9.14没)
本貫:豊山洪氏 字:建中(コンジュン) 号:無何(ムハ)
父: 禮曹參判(イェジョチャムパン) 洪霙(ホン・ヨン)
洪柱元の誕生年、はっきりしておりませんが 。。。
たぶん このように 〝公主の方が少し歳上だった”ようです
二人の間には 『7男1女』 が生まれます
長男 : 洪台望 1625~? ・・・早卒
次男 : 洪萬容(禮曹判書 貞簡公) 1631~1692
三男 : 洪萬衡(吏曹左郞) 1633~1670
四男 : 洪萬熙 1635~1670
五男 : 洪台亮 1637~? ・・・早卒
六男 : 洪台六 1639~? ・・・早卒
長女 : 洪台妊 1641~? (待望の女の子)
七男 : 洪萬懷 1643~1710
(ドラマ「華政」39話より)
既に可愛い息子が二人 。。。 (長男は残念ながらは幼くして死亡)
次男の洪萬容(ホン・マンヨン) と 三男の洪萬衡(ホン・マンヒョン)
この時生まれたのが 四男の洪萬熙(ホン・マンヒ) でした。
この 「次男:洪萬容(ホン・マンヨン)」 からの流れに
長男として記載されている資料も多いです
≪ 学業が優れ、1662年 庭試甲科壮元(主席)及第。
1666年には 重試甲科壮元(主席)及第。
19代粛宗の時代 「禮曹判書」の地位に就く ≫
。。。さすが ≪公主と柱元の息子≫
そしてその洪萬容の「長男:洪重箕(ホン・ジュンギ)」1650~1706
≪ 儒学者。官職は「別檢掌苑署」を始め
「廣興倉主簿・宗簿寺主簿・太僕寺主簿・戶曹正郞」
などを歴任する。 ≫
。。。 ≪公主と柱元の孫≫ です
その洪重箕の「次男:洪鉉輔(ホン・ヒョンボ)貞獻公(ジョンホンコン)
1670~1740
≪頭脳明晰。1718年(粛宗44) 庭試甲科壮元(主席)及第。
21代英祖の代1740年 「禮曹判書」の地位に就く ≫
。。。≪公主と柱元の曾孫≫=≪恵慶宮の祖父≫
その洪鉉輔の 「長男:洪鳳漢(ホン・ボンハン)翼靖公(イクジョンコン)
1713~1778(正祖2)12.4没
ご存じ、イサンの母恵慶宮の父(正祖イサンの外祖父)です
≪娘婿は(英祖の次男)思悼世子。 右議政・左議政・領議政等歴任。
英祖を支え、朝鮮後期の文化復興に多大な功績を残す≫
イサンが王位に就くのを見届け、翌1778年(正祖2)に亡くなった
。。。≪公主と柱元の玄孫≫ 4代孫
そしてその洪鳳漢の 「次女:恵慶宮洪氏」
1735.陰6.18生~1815.陰12.15没
夫: 英祖の次男 思悼世子(莊獻世子) ・・・「莊祖」追尊
14代王である「宣祖」を中心に受け継がれていく王位継承、
英祖の後を継ぐはずだった〝思悼世子”と
同じく宣祖の娘から繋がる子孫である〝恵慶宮洪氏”は≪遠縁≫
と言う事となります。
。。。≪公主と柱元の五代孫≫=イサン生母
と・言う事は 『正祖イサン』も ≪貞明公主と洪柱元の子孫(六代孫)≫
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
から ~~~
こう繋がると思うと 。。。 何だかとっても嬉しい
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちょっと
貞明公主と洪柱元の「三男(次男とされている物も有り):洪萬衡(ホン・マンヒョン)」
からの子孫に こんな人物が
コチラから繋がる ≪公主と柱元の六代孫≫に
あの ≪洪國榮(ホン・グギョン)≫
そして ≪正祖の後宮:元嬪洪氏≫ 國榮の妹
こちらも 貞明公主と洪柱元 の子孫 と言うワケです
BS日テレで放送中の ドラマ≪イサン≫ (全77話≫
イサンソンヨンは遂に結ばれ 。。。
ここから、次第に幸せの絶頂期へと繋がります。
悲しい最後ではありますが 。。。 しばらくは
二人のの姿を ご堪能下さいませ
文責はMarcallに有り、確実なものではありません。
どうぞ御理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください
皆様の楽しいコメント お待ちしておりま~~~す
「最近は〝六龍”ばっかりだね」 って言われ
「はい!ど~っぷりハマっちゃって」・・・私 (笑)
でも、あの続きは?? って
そうでした、そうでした~~笑 書きかけて忘れてました
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
今もBSで放送中の ≪正祖イサン≫ 朝鮮王朝第22代王
あの世宗大王と並び 〝聖君”と称される 「イサン」
正祖の御眞(王の肖像画)
生前沢山の〝御眞”を描かせたという正祖ですが、数々の戦の中で焼失され、
残念ながら (正祖の物は)一枚も現存せず。これは、1989年に、実録に記載
されている正祖の風貌の様子から想像して描かれた追写(チュサ)と言われる物です。
二重あごで鼻筋にょっきりの男らしい風貌だったようで、他にも一枚「えっ!」と
なるような〝挿絵”も残されて居ますが・・・あまりにもガッカリなので
載せるのをやめておきますね~~~
お口直し・・・ではなく、〝お目め直し” (笑)
ドラマ「イサン」の ≪イ・ソジンssi 正祖≫ です
この≪正祖イサン≫の 〝聖君である理由”が こんな所から繋がる気がします。
ドラマ≪華政≫ 視聴の皆様 どうぞご一緒に 〝ご検証” 下さいませ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
スカパー!KNTV での ドラマ≪華政≫ 日本初放送
(ドラマ「華政」最終話より)
善政をすすめるため動き始めた王(孝宗)は 洪柱元父子に高い位を用意し
公主にも「傍で協力して欲しい」と望みますが 。。。
柱元父子もこれを辞退し、公主は〝自分の居るべき場所”へと戻ります。
とても感動的な 終わり方 ・・・でしたね。
ドラマは ここで でしたが 。。。
皆様 ≪気になりませんか≫ その後の事
洪柱元と貞明公主 のその後は こんな人に繋がって行くのです。
以前 書いたことがあるのですが 。。。
この二人の 素敵な姿からもう一度 今回は≪その後≫ を追って
検証してみたいと思います
14代王宣祖の唯一の嫡女〝貞明公主” 駙馬(王の娘婿)〝永安尉 洪柱元”
仁祖実録 1623年(仁祖1)9月26日 1番目の記事
貞明公主を洪霙の息子である洪柱元へ下嫁させる。
〝貞明公主” (1603.陰5.19生~1685.陰8.10没)
駙馬(王の娘婿)〝永安尉 洪柱元” (1606生?~1672.9.14没)
本貫:豊山洪氏 字:建中(コンジュン) 号:無何(ムハ)
父: 禮曹參判(イェジョチャムパン) 洪霙(ホン・ヨン)
洪柱元の誕生年、はっきりしておりませんが 。。。
たぶん このように 〝公主の方が少し歳上だった”ようです
二人の間には 『7男1女』 が生まれます
長男 : 洪台望 1625~? ・・・早卒
次男 : 洪萬容(禮曹判書 貞簡公) 1631~1692
三男 : 洪萬衡(吏曹左郞) 1633~1670
四男 : 洪萬熙 1635~1670
五男 : 洪台亮 1637~? ・・・早卒
六男 : 洪台六 1639~? ・・・早卒
長女 : 洪台妊 1641~? (待望の女の子)
七男 : 洪萬懷 1643~1710
(ドラマ「華政」39話より)
既に可愛い息子が二人 。。。 (長男は残念ながらは幼くして死亡)
次男の洪萬容(ホン・マンヨン) と 三男の洪萬衡(ホン・マンヒョン)
この時生まれたのが 四男の洪萬熙(ホン・マンヒ) でした。
この 「次男:洪萬容(ホン・マンヨン)」 からの流れに
長男として記載されている資料も多いです
≪ 学業が優れ、1662年 庭試甲科壮元(主席)及第。
1666年には 重試甲科壮元(主席)及第。
19代粛宗の時代 「禮曹判書」の地位に就く ≫
。。。さすが ≪公主と柱元の息子≫
そしてその洪萬容の「長男:洪重箕(ホン・ジュンギ)」1650~1706
≪ 儒学者。官職は「別檢掌苑署」を始め
「廣興倉主簿・宗簿寺主簿・太僕寺主簿・戶曹正郞」
などを歴任する。 ≫
。。。 ≪公主と柱元の孫≫ です
その洪重箕の「次男:洪鉉輔(ホン・ヒョンボ)貞獻公(ジョンホンコン)
1670~1740
≪頭脳明晰。1718年(粛宗44) 庭試甲科壮元(主席)及第。
21代英祖の代1740年 「禮曹判書」の地位に就く ≫
。。。≪公主と柱元の曾孫≫=≪恵慶宮の祖父≫
その洪鉉輔の 「長男:洪鳳漢(ホン・ボンハン)翼靖公(イクジョンコン)
1713~1778(正祖2)12.4没
ご存じ、イサンの母恵慶宮の父(正祖イサンの外祖父)です
≪娘婿は(英祖の次男)思悼世子。 右議政・左議政・領議政等歴任。
英祖を支え、朝鮮後期の文化復興に多大な功績を残す≫
イサンが王位に就くのを見届け、翌1778年(正祖2)に亡くなった
。。。≪公主と柱元の玄孫≫ 4代孫
そしてその洪鳳漢の 「次女:恵慶宮洪氏」
1735.陰6.18生~1815.陰12.15没
夫: 英祖の次男 思悼世子(莊獻世子) ・・・「莊祖」追尊
14代王である「宣祖」を中心に受け継がれていく王位継承、
英祖の後を継ぐはずだった〝思悼世子”と
同じく宣祖の娘から繋がる子孫である〝恵慶宮洪氏”は≪遠縁≫
と言う事となります。
。。。≪公主と柱元の五代孫≫=イサン生母
と・言う事は 『正祖イサン』も ≪貞明公主と洪柱元の子孫(六代孫)≫
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
から ~~~
こう繋がると思うと 。。。 何だかとっても嬉しい
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
ちょっと
貞明公主と洪柱元の「三男(次男とされている物も有り):洪萬衡(ホン・マンヒョン)」
からの子孫に こんな人物が
コチラから繋がる ≪公主と柱元の六代孫≫に
あの ≪洪國榮(ホン・グギョン)≫
そして ≪正祖の後宮:元嬪洪氏≫ 國榮の妹
こちらも 貞明公主と洪柱元 の子孫 と言うワケです
BS日テレで放送中の ドラマ≪イサン≫ (全77話≫
イサンソンヨンは遂に結ばれ 。。。
ここから、次第に幸せの絶頂期へと繋がります。
悲しい最後ではありますが 。。。 しばらくは
二人のの姿を ご堪能下さいませ
文責はMarcallに有り、確実なものではありません。
どうぞ御理解の上、画像も含め転記転載はご遠慮ください
皆様の楽しいコメント お待ちしておりま~~~す