「頭の良さ」と「早熟さ」 | marbleのブログ

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日々考えています

子供の「頭の良さ」を判断するのは極めて難しいと感じています。


というのは、「頭が良いこと」と「早熟であること」はかなりオーバーラップするからです。


10歳なのに高校生なみの体格の子がいます。同様に10歳なのに高校生なみの精神の子もいます。


特別賢いわけではない高校生でも、小学レベルの勉強は朝飯前です。中学受験レベルの問題だって、多少本気で準備すれば余裕でこなせます。中学入試の問題は確かに難しいですが、それはそれ専用の対策をしていないから難しく感じるのであって、普通の大人が本気で対策すれば大した難度ではありません。


ですから、普通の人であっても、成長のスパートが早い時期に起きていて、子供として早熟であったなら、その子は同世代の子の中ではずば抜けた偏差値になります。


以前、開成出身の人と話していてびっくりしたのですが、開成においてすら、東大・京大・国立医学部に受かるのは上半分だけなのだそうです。開成に入れる人なんて、12歳時点での同世代内ポジションからすれば、余裕で東大・京大・国立医学部に受かるはずです。しかも開成という素晴らしい環境にいるのですから、なおさらそうならなくてはいけません。


この現象に対して、「それは中学以降にさぼったからでしょう」、という見方もあるかもしれないし、それは部分的に正しいと思いますが、それだけではないと思います。要するに早熟だったのです。成長スピードが速かっただけで、実は普通の人だったのです。


こういう子は結構不幸なのかもしれません。子供のころは普通にやっていてずば抜けたポジションにいることができ、周りから「よくできる」と言われ、自分でもそう思っていたのが、だんだん「がんばっても人並み」の状態に堕ちていくわけですから。後半に周りに抜かれていくマラソンレースほどしんどいものはありません。


その意味で中学受験というのは、「しょせんは中学受験」に過ぎないのだと思います。早熟ではない子は、そこそこの結果でいいのだと思います。むしろ桁違いにできる子ほど気を付けないといけません。もちろん「本物」もいます。半分は地頭がいい子なのでしょう。でも残りの半分はただの「早熟な凡人」なのですから。