ホロコースト考 第五回 ~パレスチナの悲劇~
ドイツ第三帝国が降伏し、大日本帝国が降伏した後、難を逃れたユダヤ教徒は、約束の地パレスチナを目指す事になります。
しかし、彼らが入植する前、ユダヤ・テロリストグループが既にパレスチナに潜入し、テロ行為を起こしていました。
このユダヤ・テロリストグループの行為により、大量のパレスチナ難民が発生するきっかけが作られたのです。
■ダヴィデ王ホテル事件
九五名の英国人とアラブ人が殺害される。
■ナタニヤ事件
二名の英国人軍曹がリンチされ、首を吊るされた。
■デイア・ヤシイン村事件
この村は周辺のユダヤ人と協定を結んでおり、争いに巻き込まれないように務めていた。
しかし、一九四八年四月九日、デイア・ヤイシンという小さな村が襲われた。
攻撃に対して、最初の男たちの抵抗がやむと、住民達は広場に集められ、壁に向かって並べらさせられて射殺され、その死体は井戸に投げ込まれた。
イギリス当局はこの事件の調査を拒否、アラブ人は国際赤十字に依頼して事実を調べさせた。
スイス赤十字代表ジャック・ド-レニエは最初の現地調査団を引き連れて現場に赴き、一五〇の死体が水溜めに放り込まれ、他の四~五〇体がその傍にあるのを認めた。
総計二五四人が虐殺され、そのうち一四五名が女性、さらにその中の三五名が身重だった。
しかし、ド-レニエが到着した時、未だテロリスト達は行動中で、村人をライフル・ピストル・ナイフなどで村人の殺害を続けていた。
この様な事件が繰り返され、所有者が逃げ出したり、虐殺を行ったのち、村を更地にして痕跡を消し、あたかも元々所有者がいなかったように装って無理矢理押し入ったのです。
地区名 | 1948年以前の村の数 | 現在の村の数 | 破壊された村の数 |
---|---|---|---|
エルサレム | 33 | 4 | 29 |
ベツレヘム | 7 | 0 | 7 |
ヘブロン | 16 | 0 | 16 |
ヤッファ | 23 | 0 | 23 |
ラムレー | 31 | 0 | 31 |
リダ | 28 | 0 | 28 |
イエニン | 8 | 4 | 4 |
ツル・カレム | 33 | 12 | 21 |
ハイファ | 43 | 8 | 35 |
アコ | 52 | 32 | 20 |
ナザレ | 26 | 20 | 6 |
サファド | 75 | 7 | 68 |
チベリアス | 26 | 3 | 23 |
ベイザン | 28 | 0 | 28 |
ガザ | 46 | 0 | 46 |
計 | 475 | 90 | 385 |
アルフレッド・M・リリアンソール著 ユダヤ・コネクション(1991年)より
ユダヤ教徒(シオニスト)は徹底した破壊と略奪を行い、バルフォア宣言と虚構のホロコースト神話を武器に、強引にイスラエルを建国します。
それにアラブ諸国が一斉に反発して第一次中東戦争が発生するのです。
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